ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

2010-07-01から1ヶ月間の記事一覧

プログラム入稿しました

第18回演奏会のプログラム冊子は昨晩業者に入稿いたしました。編集・制作はビオラのMさんです。今回は「日本近代音楽館へのオマージュ」ということで、いろいろな方から玉稿をいただきました。『王道楽土の交響楽』の著者・岩野裕一さんからも、『音楽を紡ぐ…

2010-07-31の予定

今日はひと月ぶりに本名マエストロの練習です。ソリストと合唱団のみなさんも初めて参加されます。練習会場が隅田川花火大会のすぐ近くなのですが、無事に帰れますでしょうか・・・(わが家は安全のために一杯やってから帰る予定・・・) 場所:K-elementary…

『東北の作曲家たち : 日本の交響作品展 8 』(演奏会プログラム)

芥川也寸志は1979年(昭和54)の山形交響楽団第18回定期公演「芥川也寸志の世界」を指揮しています。また芥川は1983年(昭和58)宮城フィルハーモニー協会の理事、宮城フィルハーモニー管弦楽団(現・仙台フィルハーモニー管弦楽団)の音楽総監督に就任しま…

日本近代音楽館とアーカイブ

昨日「日本近代音楽館というアーカイブ」と書きましたが、少々補記します。日本近代音楽館が「図書館」か「アーカイブ(この場合は施設の意味)」か、というのは見方によりまが、作曲家の自筆譜など出版される前の資料は、いわゆる図書館ではあまり扱いませ…

図書館とアーカイブ

図書館の司書の仕事を長年やっていますが、5年程前から某博物館の中で仕事をするようになりました。また近現代の記録資料(アーカイブ)にも数多く触れる仕事をしています。(「アーカイブ」という言葉は、記録資料そのものを表す場合と、それを保管している…

『青春の作曲家たち : 日本の交響作品展 7 』(演奏会プログラム)

小倉朗(おぐら・ろう、1916-1990)、松平頼則(まつだいら・よりつね、1907-2001)、戸田邦雄(とだ・くにお、1915-2003)、渡辺浦人(わたなべ・うらと、1909-1995)、別宮貞雄(べっく・さだお、1922-)の20代〜30代の作品をとりあげた演奏会。それぞれの作曲家に自…

本番準備あれこれ

昨晩はいつものように裏方の打ち合わせでした。本番当日の舞台配置、楽屋まわり、受付の対応など細かく話し合いました。日比谷公会堂の舞台は、間口はあるものの奥行きがそれほどなく、山台の上に合唱団がはいるとオーケストラはその前に平らに並ぶことにな…

深井史郎『パロディ的な四楽章』(演奏会プログラム)

深井史郎のこの作品は当初『5つのパロディ』として1933年に2管編成で作曲され、1936年に3管編成に拡張しタイトルを『パロディ的な四楽章』と改めて翌1937年に初演されました。この1999年の演奏会では改編された楽譜が発見されなかったため、『5つのパロデ…

伊福部昭へのオマージュ

「オマージュ」と聞くと思い出すのは、『伊福部昭のモチーフによる「讃」』です。これは1988年2月に開催された先生の「叙勲(勲三等瑞宝章)を祝う会」のために、9人のお弟子さん方が共作されたものです。ニッポニカではこの曲を2004年2月「伊福部昭文化功…

中村鶴城琵琶リサイタル『一遍上人琵琶伝』

今日は急に時間が空いたので、琵琶楽を聴いてきました。中村鶴城さんは2007年ニッポニカのハノイ公演で武満徹『ノヴェンバー・ステップス』を共演していただいて以来のご縁です。長年ビオラなる西洋楽器に親しんでいますが、琵琶なる邦楽器は触ったことはも…

2010-07-24の練習日記

来週からマエストロがみえるので、今日は3曲を総仕上げ。楽譜を校訂されたトレーナーの柴山洋先生も、楽譜の最後のチェックに余念がありません。『大陸の歌』では「ここの音、コントラバスなどはA(ラ)になっていますが、ほかの楽器はF(ファ)だから、記…

2010-07-24の予定

場所:G-Plaza(譜面台すこしあり) 時間: 18:15-18:55 大陸の歌 18:55-19:45 寒帯林 19:55-21:30 平和への祈り

本番の衣装

ニッポニカの舞台はいつもカラフルです。男性は黒の上下に白ワイシャツですが、ネクタイはカラーという指定。そして女性はカラードレスという指定です。カラーは青か緑の寒色系、上下どちらか黒はOK、としています。最初のころは色の指定もせず、舞台がとて…

大木惇夫略歴

大木惇夫(1895-1977)の自伝小説『緑地ありや』(講談社、1957)は、慶子(作中では恵子)が亡くなるまでの内容ですが、このとき大木は38歳でした。その後1941年(昭和16)に大東亜戦争が起こると、46歳の大木は徴用され宣伝班の一員としてジャワに配属され…

大木惇夫『緑地ありや』第13章

恵子の直腸癌の手術は成功し、2ヵ月後には再びガーデンホームへ移転しました。しかし大木は恵子の余命が一年足らずと聞き、吉祥寺の家を引き払い、以前改造社の『世界大衆文学全集』の印税で入手した恵子の大島の反物も質に入れ、神田のアパートへ引っ越しま…

『清瀬保二 : 日本の交響作品展 6 』(演奏会プログラム)

芥川也寸志や武満徹をはじめ多くの作曲家に影響を与えた清瀬保二(きよせ・やすじ、1900-1981)の個展プログラム。演奏会の前年9月に亡くなられた作曲家を追悼して、委嘱作品『哀歌』が演奏されました。改めて年譜をみたところ、大分出身の清瀬は1925年(大正1…

有元利夫展 天空の音楽

友人が東京都庭園美術館で開催中の「有元利夫展 天空の音楽」へ行って来たと教えてくれました。有元利夫(ありもと・としお、1946-1985)は夭折の画家として知られていますが、私が初めて知ったのは不思議な出会いをした上斗米さんの書いた本を通してでした…

菅原明朗と深井史郎(その2)

『菅原明朗 : 日本の交響作品展 5 』のプログラムに掲載されていた秋山邦晴さんのインタビューの中から、深井史郎に関するところの抜粋その2です。(その1)はこちら。 永井荷風とのオペラ<葛飾慕情>のころ (前略) ―――深井史郎さんは、さきほど話にも…

大木惇夫『緑地ありや』第12章

妻病みて 医者を呼ぶとて 日の暮れの 巷路ゆけば、こがらしに吹かれて行けば、 みちばたの小暗きに ほのじろき水鉢に 水仙の芽のさむざむ明かりぬ。わが胸も ややにふるへぬ、ふるへつつ 見やりつつ 巷路をとぼとぼ行けり、こがらしに 吹かれて行けり。 ― 日…

菅原明朗と深井史郎(その1)

『菅原明朗 : 日本の交響作品展 5 』のプログラムに掲載されていた秋山邦晴さんのインタビューの中から、深井史郎に関するところを抜粋します。なお全文はニッポニカ「菅原明朗とその周辺」の演奏会プログラムに転載されています。 弟子としての深井史郎ほか…

『菅原明朗 : 日本の交響作品展 5 』(演奏会プログラム)

深井史郎が師事した菅原明朗(すがわら・めいろう、1897-1988)の個展プログラムです。このとき作曲者は練習に何回も足を運ばれました。ニッポニカで演奏した「菅原明朗とその周辺」の演奏会はこちらです。 ◆書誌データ 菅原明朗 : 日本の交響作品展 5 : 新交…

2010-07-17の練習日記

『大陸の歌』をまずじっくり。練習を重ねてきたのでアンサンブルの微妙な綾もかなり消化してきた感じがします。欠席のパートの音も聴こえてくるような。トレーナーの柴山洋先生は本番ではコール・アングレで出演されるので、ご自分のパートは歌ってらっしゃい…

伊福部昭と早坂文雄

「日本の交響作品展'96」のプログラムに、伊福部昭「早坂文雄君の思い出」が載っていましたので抜粋しました。 日時は定かでないが、私の中学時代、札幌に学生のよく出入りする宮原と云う御宅があった。そこの家人が、一風変わった音楽青年がいるが、一度会…

2010-07-17の予定

場所:G-Plaza(要譜面台) 時間: 18:15-19:30 大陸の歌 19:45-21:30 平和への祈り

大木惇夫『緑地ありや』第11章

大木たちが東京へ戻った翌年に関東大震災があり、不自由な生活をしながらも大木は翻訳や詩作を続けていました。翌1924年(大正13)には翻訳書『基督の生涯』を出版し、幸い好評を博すことができました。また翌年には処女詩集『風・光・木の葉』が北原白秋の…

日本の交響作品展 昭和8年〜18年(演奏会プログラム)

新交響楽団創立20周年記念に開催した演奏会で、2日にわたり日本人10人の10作品をとりあげました。第1夜は亡くなられた作曲家、第2夜はご存命の作曲家の作品で、最後は伊福部先生の『交響譚詩』でした。この2夜の演奏会により、芥川也寸志と新交響楽団は…

日本の交響作品展'96(演奏会プログラム)

新交響楽団創立40周年記念シリーズの一環として開催した演奏会で、2日にわたり日本人7人の7作品をとりあげました。どの曲も印象深いですが、橋本國彦『交響曲ニ調』、深井史郎『ジャワの唄声』、諸井三郎『交響曲第3番』は特に鮮明に覚えています。野平…