ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

松村禎三作品展が佐治敬三賞受賞

ニッポニカ第38回演奏会「松村禎三交響作品展」が、サントリー芸術財団の主催する第21回(2021年度)佐治敬三賞を受賞しました。サントリーグループのニュースリリース(2022/4/4)です。

第21回(2021年度)佐治敬三賞は「オーケストラ・ニッポニカ第38回演奏会 松村禎三交響作品展」「オペラ『ロミオがジュリエット』世界初演」に決定

https://www.suntory.co.jp/news/article/sfa0053.html

第38回演奏会のプログラムを再掲します。

オーケストラ・ニッポニカ第38回演奏会

2021年7月18日(日)14:30開演 紀尾井ホール

指揮:野平一郎
ピアノ:渡邉康雄*
管弦楽:オーケストラ・ニッポニカ

なお、ピアノ協奏曲の後にアンコールとして、松村禎三ピアノ曲ギリシャによせる二つの子守歌』より第2番が演奏されました。

■諸井三郎書誌

国立音楽大学図書館『塔』16号

国立音楽大学図書館発行の『塔』No.16(1976年8月)には、「Bibliography series 5」として21ページから63ページにわたり「諸井三郎書誌」が掲載されている。ここではその概要を抽出しておきたい。なお諸井三郎が没したのは1977年3月であり、この書誌は諸井のほぼすべての著作を網羅していると考えられる。

諸井三郎書誌 / 鈴木カズ子、豊永早知子(文責)、長谷川由美

・略歴…21
・書誌刊行の背景と構成…21
・「音楽作品表」「著書」「雑誌、新聞記事」それぞれの情報源…22

  • 諸井三郎(1903~)作品表…24
    1919年作曲のの『序曲』(Pf)から1971年作曲の『op.30 ピアノのための前奏曲アレグロジョコーゾ』まで、管弦楽室内楽、声楽など101作品について、年代順に「作曲年」「曲名、楽器編成、ページ数」「初演(演奏歴)」「出版」「レコード」「解説・批評」「自筆譜、ファクシミリ、所在」が記されている。末尾には諸井三郎と中島健蔵による記事の抜粋が付されている。
  • 諸井三郎に関する文献資料…40
    1903年東京に生まれてから1976年までの著作と雑誌・新聞記事について、「経歴」「諸井三郎によるもの」「諸井三郎に関するもの」の区分でそれぞれ「掲載誌」「請求記号」と共に年代順に記されている。
  • ジャンル別作品一覧表…62
    管弦楽曲室内楽曲、ピアノ曲、声楽作品、映画音楽の区分で、年代順の作品名と作品番号が記されている。映画音楽については映画タイトル、監督名、公開年。

ニッポニカ第39回演奏会プログラム

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ニッポニカ第39回演奏会プログラム

≪チェレプニン伝説 ~ローカリティーの追求~≫

オーケストラ・ニッポニカ第39回演奏会
 オーケストラ・ニッポニカ, 2022.2.13
 15p ; 30cm
 注記: 演奏会プログラム ; 日時・会場: 2022年2月13日(日)・紀尾井ホール ; 主催: 芥川也寸志メモリアルオーケストラニッポニカ ; 助成: 芸術文化振興基金助成事業, 公益財団法人花王芸術・科学財団 ; 楽器協力: 東京音楽大学民族音楽研究所;アーカイヴ協力: 東京音楽大学付属図書館

プログラム:

出演:野平一郎(指揮), オーケストラ・ニッポニカ(管弦楽),内容:
プログラム …2
Profile:野平一郎、渡辺美穂(ゲストコンサートマスター)…3
Program note / 奥平一 …4
「土俗的三連画」を作曲した当時の厚岸とは / 取材:奥平一 …10
「日本狂詩曲」を初演した指揮者~ファビエン・セヴィツキーからの手紙~ / 翻訳:前田浩剛 …12
[ニッポニカ案内] …14

ニジニ・ノヴゴロドの定期市

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ニジニ・ノヴゴロドの定期市(1850年代)

バラキレフ(1837-1910)の生まれたニジニ・ノヴゴロドは、ロシア西部を流れるヨーロッパ最長のヴォルガ川に、その支流オカ川が合流する地点にあり、ヴォルガ川最大の港があります。水運・陸運の要として商工業が栄え、19世紀初頭から開かれていた定期市が有名で、全国の商業、貿易の中心地となっていました。

当時ニジニ・ノヴゴロドの定期市は毎年7月15日から約2か月間に渡り開かれ、店舗数4000、商人などの関係者12万人、訪問者は延べ150万から200万人にも及んだそうです。19世紀末のニジニ・ノヴゴロドの人口は9万人なので、定期市の規模の大きさがわかります。

定期市は単に商業活動の場だけでなく、娯楽と解放の場でもありました。1930年に廃止されるまで、異民族、放浪者、芸人などが定住民と自由に交流する祝祭空間となっていたのです。

バラキレフはそうした街の中で育ちましたので、毎年2カ月間も繰り広げられる多民族の芸術そして音楽に、幾度となく触れたことでしょう。

■参考文献

  • ロシアを知る事典 平凡社 2004

(写真はウィキメディア・コモンズより)

関連エントリー

バラキレフが通ったカザン大学数学科

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カザン大学(1928年以前)

古い貴族の末裔である父親を持つバラキレフは、10歳の時母親に連れられモスクワでデュビュークのピアノレッスンを受けました。その後母親を亡くし、中学校はアレクサンドロフ寄宿学校にはいります。そしてピアノはアイスリッヒに師事し、ウリビシェフの所にも顔を出していました。16歳になると寄宿学校を離れ、カザン大学数学科に入学し2年間学んでいます。そこで「カザン」という土地と「数学科」という科目に注目してみました。

バラキレフの生まれたニジニ・ノヴゴロドはモスクワの東400キロに位置する街で、カザンはさらにその東400キロ、モスクワからは800キロ東になります。韃靼(だったん)とも言われるタタール文化の中心地として栄えたカザンは、ヴォルガ河に面し水上・陸上交通の要として商工業が発展し、学術研究の中心でもありました。タタールの文化としてはモンゴル及びトルコ系の遊牧騎馬民族イスラム教、タタール貴族の子孫ボリス・ゴドゥノフなどが浮かびます。ボロディンのオペラ『イーゴリ公』に出てくる『韃靼人の踊り』は有名です。

そうした民族文化が渦巻くカザンで過ごしたバラキレフは、ピアニストとして地元で有名になり、ピアノを教えて収入を得ていたそうです。10代の2年間にはタタールの音楽も様々に耳に入ってきたことでしょう。バラキレフはサンクト・ペテルブルクに出た後、コーカサス地方などを旅行し民謡を収集していますが、民族音楽との接点はこのカザン時代の体験にもあると考えられます。

1804年設立のカザン大学はバルト3国を除くとモスクワに次いでロシアで2番目に古い大学で、帝政時代には歴史・言語学、物理学、医学、法学の4学部からなっていたそうです。当時カザンより東に大学は無く、中央から東アジアにかけての学術研究の中心地でもありました。トルストイレーニンもここで学んでいます。

バラキレフの入学した数学科は、おそらく物理学科の中にあったのでしょう。古代ギリシャピタゴラス派の人々は「数学」を「数」と「量」を扱う2つの分野に分け、静止しているか動いているかでさらに2つに分け、静止している数を扱うのが「数学」、運動している数が「音楽」、静止している量が「幾何学」、運動している量が「天文学」としたそうです。いずれにせよ数学と音楽は兄弟で、バラキレフが数学科に入った理由でしょう。ロシアの大学制度はよくわかりませんが、カザン大学物理学部数学学科音楽専攻、というようなことではと想像します。

大学の休暇に故郷へ戻ったバラキレフは、ウリビシェフがベートーヴェンに関する書籍を執筆するのを手伝い、数多くのベートーヴェンソナタを演奏したそうです。そして18歳になり大学の課程を修了したバラキレフを、ウリビシェフはサンクト・ペテルブルクへ連れて行ったのでした。

■追記
カザン大学で学んだトルストイ(1828-1910)はバラキレフより9歳年上でしたが、その学生ぶりについての文章があったので引用しておきます。当時の大学生の様子が垣間見えます。なおトルストイは結局中退しましたが、バラキレフは2年間の課程を修了しています。
「1844年、16歳の年に、彼は兄たちの行っているカザン大学に入った。東洋語科のアラビヤ・トルコ語系列だった。カザン大学は1804年に創設された、ロシアでも古い名門校の一つであり、のちにレーニンもここで学んでいる。しかし、トルストイはよい学生ではなかった。大学生ともなれば社交界に出入りすることができたので、夜会、アマチュア芝居、劇場めぐりなど、遊びにはことかかなかった。家柄もよく、かつての県知事の孫で地方名士たちのの縁故も深いうえ、近い将来には申し分ない花婿候補になることの約束されているトルストイは、どこへ行ってもちやほやされ、勉強どころではなかった。」(出典:トルストイ原卓也訳『戦争と平和 I』中央公論社、1968, p536-537 解説/原卓也

■参考文献
・ニューグローブ世界音楽大事典. 第13巻. 講談社, 1994
・ロシア・ソ連を知る事典.平凡社, 1989
桜井進、坂口博樹著 音楽と数学の交差. 大月書店、2011、p37

関連エントリー

■更新履歴

  • 2021.12.26:第5段落に文言追加
  • 2022.1.9:「追記」を追加

バラキレフの音楽の師たち

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20世紀末のソ連の地図

ミリイ・バラキレフは1837年の生まれ、ワーグナーの妻コジマや徳川慶喜と同じ年です。生まれたのはモスクワの400kmほど東にあるニジニ・ノヴゴロドで、この街はロシア第5の商工業都市だそうです。立派な劇場の写真があります(https://w.wiki/4SKN)。この地で彼は母親から音楽の手ほどきを受け、4歳でピアノを演奏しました。

10歳の夏休み、バラキレフは母親と共にモスクワへ行き、フランス系ロシア人ピアニストのアレクサンドル・デュビューク(1812-1898)のレッスンを10回受けました。デュビュークはアイルランド出身の作曲家でピアニスト、ジョン・フィールド(1782-1837)の弟子でした。フィールドはロンドンで師事したクレメンティと共にヨーロッパ大陸の演奏旅行に出かけ、ロシアの首都サンクト・ペテルブルクで師と別れました。フィールドの芸術的感性は多くの音楽家に影響を与えたそうです。後にデュビュークは、バラキレフに勧められて書いた「フィールドの思い出」を出版しています。バラキレフはデュビュークについて、自分がピアノを弾けるのは彼のレッスンのおかげである、と述べているそうです。
Alexandre Dubuque (撮影者不詳, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)
John Field (Anton Wachsmann, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)

バラキレフはその後、ドイツ人ピアニストで指揮者のカール・アイスリッヒ(1817-1881)に師事しました。アイスリッヒの父親はバイロイト生まれで作曲家、指揮者として活躍し、サンクト・ペテルブルクで没した、カール・トラウゴット・アイスリッヒでした。息子のアイスリッヒはバラキレフに対し、幅広い音楽体験を積ませました。14歳の時にバラキレフはアイスリッヒを手伝ってアマチュア演奏家によるモーツァルトのレクイエムの演奏会を準備しました。

当時ニジニ・ノヴゴロドには、音楽評論家でアマチュア演奏家の、アレクサンドル・ウリビシェフ(1794-1858)が住んでいました。ドレスデン駐在ロシア大使の息子だったウリビシェフはドレスデンで生まれ育ち、サンクト・ペテルブルクで外務省に務め、36歳で引退してからはニジニ・ノヴゴロド近郊の自宅で音楽研究に打ち込んでいました。1843年には3巻からなるモーツァルトの伝記をフランス語で書き、後にチャイコフスキーがこれをロシア語に翻訳しています。自宅には膨大な蔵書と楽譜のコレクションがあり、地元の有名な音楽家たちが集っていたそうです。こちらも立派な自宅の写真があります(https://w.wiki/4Rni)。ちなみにチャイコフスキー1840年生まれでバラキレフの3歳年下、日本では渋沢栄一と同年齢です。

ウリビシェフは頻繁に劇場に出かけ、その合間には室内楽を自宅で楽しんでいました。自身は第1ヴァイオリンを弾き、ピアノはアイスリッヒだったとのこと。そのアイスリッヒの代役を弟子のバラキレフがしばしば務め、ウリビシェフにその才能を高く買われることになりました。十代の若者はあふれるような音楽の刺激を受けたことと思われます。室内楽で多くの作品に直接触れ、小劇場でアイスリッヒの指揮するベートーヴェン交響曲を聴き、ウリビシェフの膨大な音楽文献と楽譜を見ることができ、15歳でベートーヴェン交響曲リハーサルを担当したそうです。

1855年、18歳になったバラキレフをウリビシェフはサンクト・ペテルブルクに連れて行き、グリンカに紹介しました。ウリビシェフのおかげでバラキレフはピアニストとして、また作曲家として音楽界へデビューできたのです。1858年にウリビシェフが没すると、遺言で1000ルーブルと2挺のヴァイオリン、そして楽譜コレクションがバラキレフに贈られたそうです。

(写真は20世紀末のソ連の地図。モスクワの東にあるゴーリキーは、ニジニ・ノヴゴロドの1932年から1990年までの名称。さらに東にあるカザンの大学数学科にバラキレフは16歳で入り、地元の社交界でピアニストとして有名になっている。モスクワの北西にあるレニングラードは、サンクト・ペテルブルクのソ連時代の名称。出典:ワールドアトラス 三訂版 帝国書院 初版1985年、三訂版1990年)

参考文献

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オーケストラ・ニッポニカ第39回演奏会

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ニッポニカ39回演奏会

オーケストラ・ニッポニカ第39回演奏会
≪チェレプニン伝説 ~ローカリティーの追求~≫
2022年2月13日(日)14:30開演 紀尾井ホール

指揮:野平一郎
管弦楽:オーケストラ・ニッポニカ

チケット:全席指定 4,000円、U25席 1,500円

主催:芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカ
助成:芸術文化振興基金助成事業、公益財団法人花王芸術・科学財団

http://www.nipponica.jp/