ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

ニッポニカ第38回演奏会「松村禎三交響作品展」

f:id:nipponica-vla3:20210501182419p:plain
オーケストラ・ニッポニカ第38回演奏会

オーケストラ・ニッポニカ第38回演奏会

2021年7月18日(日)14:30開演 紀尾井ホール

指揮:野平一郎
ピアノ:渡邉康雄*
管弦楽:オーケストラ・ニッポニカ
チケット:全席指定 3,000円
 コンサート・イマジン 03-3235-3777 他
主催:芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカ
http://www.nipponica.jp/
助成:芸術文化振興基金助成事業/(公財)東京都歴史文化財団アーツカウンシル東京/(公財)花王芸術・科学財団/(公財)野村財団
アーカイヴ協力:東京音楽大学付属図書館

第37回演奏会評

f:id:nipponica-vla3:20210421175221j:plain
『音楽の友』2021年5月号

ニッポニカ第37回演奏会「1964年前後・東京オリンピックの時代」の演奏会評が、次の通り掲載されました。有難いことです。

  • 東京の演奏会から:オーケストラ・ニッポニカ(第37回)/長谷川京介
    〔音楽の友 79巻5号〕2021年5月 p128

■参考
オーケストラ・ニッポニカ第37回演奏会「1964年前後・東京オリンピックの時代」
http://www.nipponica.jp/concert/concert_history.htm#053

「100年目の12音音楽」を聴く

f:id:nipponica-vla3:20210214054818p:plain
クラシックの迷宮「100年目の12音音楽」

片山杜秀さんのNHK-FM「クラシックの迷宮」、昨日は「100年目の12音音楽」と題し、12音音楽を確立したシェーンベルクの音楽が取り上げられました。彼が最初に12音音楽のアイデアを表明したのが1921年だという逸話が紹介され、今年はそれから100年目という訳です。日本における12音音楽の先駆者と言われる入野義朗もこの年に生まれているので、今年は入野の生誕百年であることも言及されました。放送された「月に憑かれたピエロ」は入野義朗の指揮でしたので、1954年10月9日の実験工房の公演と思われます。

NHK-FM クラシックの迷宮
2021年2月13日  午後9時00分~ 午後10時00分
▽100年目の12音音楽

  • 「5つの管弦楽曲 作品16(室内管弦楽版) から 第4曲“転機”」/ シェーンベルク:作曲 ; フェリックス・グライスレ:編曲 (管弦楽)グルッポ・モンテベッロ、(指揮)ヘンク・グイッタルト(2分15秒)<ETCETERA KTC 1484>
  • 「5つのピアノ曲 作品23 から 第5曲“ワルツ”」/ シェーンベルク:作曲 (ピアノ)チェン・ピーシェン (2分25秒)<hat(now)ART 125>

https://www4.nhk.or.jp/classicmeikyu/x/2021-02-13/07/74167/4756423/

作曲家・入野義朗

f:id:nipponica-vla3:20210211105501j:plain
入野義朗書誌と没後20周年コンサートのプログラム

第37回演奏会でとりあげる入野義朗関連のブログ記事をまとめておきます。入野は日本における12音音楽の導入者として知られていますが、その経歴をたどってみると、自身の創作活動に留まらず、音楽関係イベントのオーガナイザーとして、国際交流のキーマンとして、音楽家の権利擁護の活動家として、そしてなにより教育者として実に多彩な活動を実践してきたことが浮かび上がります。没後20周年コンサートのパンフレットに音楽学者長木誠司が次のように語っているのが印象に残りました。

 入野義朗について語るとき、まず彼を日本における12音技法の教祖のように見なすのは、亡くなった20年前ならともかく、もうやめよう。それは60年代までに培われ、その後ただ反復されてきた「見立て」に過ぎない。その生涯は、12音という切り口よりも、むしろ別の形で生き続けているのだから。ACLのなかに、そして彼が長年熱意をもって携わっていた教育活動のなかに。(長木誠司 東京大学助教授)
(注:ACL=Asian Composers League=アジア作曲家連盟)

■参考

古関裕而の本とCD

古関裕而について参考にしたのは、去年出た次の本です。著者は1977年生まれ、日本近代史を専攻する研究者で、NHK「エール」の風俗考証を担当していました。読みやすくわかりやすいです。

古関裕而の評伝は他にも何冊か出ていますが、今年に入ってからもなんと5冊もありました。(5月時点)

  • 長尾剛古関裕而 応援歌の神様:激動の昭和を音楽で勇気づけた男』 PHP文庫 2020年2月
  • 青山誠『古関裕而:日本人を励まし続けた応援歌作曲の神様』 中経の文庫 2020年2月
  • 辻田真佐憲『古関裕而の昭和史:国民を背負った作曲家』文春新書 2020年3月
  • 菊地秀一『古関裕而・金子:その言葉と人生』(古関正裕 監修)宝島社 2020年3月
  • 古関正裕『君はるか : 古関裕而と金子の恋』集英社インターナショナル 2020年2月

このほか漫画や楽譜や「エール」関連のものなどいろいろ出版されています。
また1980年に出た自伝は、昨年文庫で再刊されています。

しかしいくら文字で生涯を追っても、音楽が聴こえてこないと今一つよくわかりません。そこで役に立つのが今年4月に出た次のCDです。

2枚組で歌謡曲が17曲、スポーツ、戦時歌謡NHKラジオ音楽が計17曲、合計34曲はいっています。「オリンピックマーチ」は陸上自衛隊中央音楽隊演奏の吹奏楽版。

コロムビアの特設ページもありました。

NHK「エール」ですが、オリンピック自体は延期になったものの、在宅で過ごす人が増えたためか視聴率はよかったようです。作曲家が主人公のドラマは珍しく、演奏する曲の背景がいろいろわかったことでした。

古関裕而『オリンピックマーチ』初演

オリンピック組織委員会NHKの委嘱で作曲された古関裕而の『オリンピックマーチ』は、1963年6月23日に上野の東京文化会館で初演されました。この演奏会は「オリンピックデー クーベルタン生誕100周年記念」というイベントの一環でした。

「オリンピックデー」というのは、クーベルタン男爵(1863-1937)が提唱したオリンピックの復興が、1894年6月23日にパリで開催された国際会議で決定され、国際オリンピック委員会IOC)が創設された日を記念するものです。その後この日に各国で関連イベントが実施され、1964年の東京大会前年の1963年6月23日、東京ではまず12時半から13時半まで上野広小路から上野公園に向かって、陸上自衛隊スポーツ少年団などがパレードをしました。

そして14時から式典があり、皇太子殿下(現・上皇さま)のおことばを始め関係者の挨拶が続きました。次に「第一部 オリンピックの歌当選発表と表彰」があり、その中で今井光也「オリンピックファンファーレ」、團伊玖磨「オリンピック序曲」に続き、古関裕而「オリンピックマーチ」が披露されたのでした。演奏はNHK交響楽団、指揮は岩城宏之でした。

イベントはこの後「オリンピック賛歌」や「東京五輪音頭」の発表があり、「第二部 青春をたたえる歌」では「東京オリンピックの歌」など13曲がソロ、合唱、管弦楽の演奏で行われました。終了は16時半でした。

ニッポニカが第37回演奏会で演奏するのは、この時の管弦楽版「オリンピックマーチ」です。

※参考
・「オリンピックデー クーベルタン生誕100周年記念」プログラム
現代日本管弦楽作品表<1912~1980>(『フィルハーモニー』特別号(53巻9号))

古関裕而~オリンピックまで

36歳で終戦を迎えた古関裕而は、歌謡曲をはじめ、菊田一夫らの縁でNHKのラジオドラマや東宝ミュージカルの曲など次々に作曲していきました。「鐘の鳴る丘」「長崎の鐘」「高原列車は行く」など曲名だけでもその雰囲気が伝わってきます。ドラマ「君の名は」、NHK「ひるのいこい」の音楽なども古関の作曲でした。

メコン舟歌」「ゴビの砂漠」「ガンヂス河は流れる」といった歌や、東宝映画「モスラ」、ミュージカル「敦煌」の音楽などは、戦争中の中国や東南アジアでの見聞が反映しているようです。

古関自身はスポーツが苦手だったそうですが、NHKスポーツ番組「スポーツショー行進曲」や甲子園で歌われる「栄冠は君に輝く」、また「巨人軍の歌」などを作っています。そして1963年(昭和38)に作曲したのが「オリンピックマーチ」です。管弦楽版の初演は1963年6月でした。それが吹奏楽版に編曲され、翌1964年10月の東京オリンピック開会式で演奏されたのでした。もっとも管弦楽版については世間的に忘れられていますので、NHK「エール」ではオリンピックの前年に作曲していたことがちらっと触れられただけでした。

古関裕而年譜その3:1946-1964|ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ 2020-05-12
https://nipponica-vla3.hatenablog.com/entry/2020/05/12/155232

※参考
刑部芳則古関裕而:流行作曲家と激動の昭和』中公新書、2019
現代日本管弦楽作品表<1912?1980>(『フィルハーモニー』特別号(53巻9号))