ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

2014-03-01から1ヶ月間の記事一覧

楽譜プロジェクトあれこれ

ニッポニカの楽譜をいれる中性紙封筒が届きました!これから少しずつこの封筒に入れていきます。これまでいろいろな所にあった楽譜を見てきましたが、楽譜そのものはちゃんとしていても、それを入れている封筒が崩壊寸前、というのはよくありました。大事に…

三浦淳史「チェレプニンの近況」(その2)

三浦淳史の語るチェレプニンの続きです。 一と昔前チェレプニン賞が邦人作曲家に提供され、次いで邦人作品が続々出版された際、一部からチェ氏の選曲方針が云々されたことがある。その結果「チェレプニン楽派」などという馬鹿げた造語さえ流布され今日でも時…

三浦淳史「チェレプニンの近況」(その1)

伊福部昭を音楽の道に引き入れた友人である三浦淳史が、戦後1950年に米国にいたチェレプニンから受け取った手紙について書いた記事があります。その中からチェレプニンの人柄や日本人作曲家との関わりについての部分を抜粋します。 氏は教師としても実に立派…

チェレプニン『交響曲第1番』の楽器編成

Symphonie en Mi Op.42 / Alexandre Tcherepnine 2 grandes flûtes (petite fl) 2 hautbois 2 clarinettes en La 2 bassons 4 cors en Fa 2 trompettes en Ut 2 trombones trombone basse tuba timbales tam-tam castagnettes triangle tambour militaire av…

伊福部昭とHeterophony

伊福部昭「アイヌ族の音楽」には、次のくだりもありました。()内はブログ子の註。 彼らの音楽は、吾々の伝統音楽と同様に、仮令(たとえ)多人数で唄う場合でも和音の意識は無いらしい。従って彼らの音楽がHomophonyではないことは殆ど確実である。又、Sar…

『星めぐりの歌』

片山杜秀さんの「クラシックの迷宮」、3月の初めの放送は「岩手県に捧ぐ」というタイトルで、宮澤賢治に因んだ曲の特集でした。冒頭と最後に賢治の創った『星めぐりの歌』の編曲が流れてきました。林光の曲も冨田勲の曲もすてきな作品で、2009年に芥川也寸志…

楽譜プロジェクト

このところ毎週月曜は某所にて楽譜の整理作業に励んでいます。ニッポニカの演奏会で使う楽譜は、スコアからパート譜を自分たちで作成したものが多々あります。それらは演奏会後にざっと整理しただけで、10年分の山が積まれていました。それをすこしずつ整理…

2014-03-15の練習日記、あるいは伊福部昭の「アイヌ族の音楽」

昨日はタプカーラの練習でしたが、休憩時間に伊福部先生が語った「アイヌ族の音楽」という文章の紹介がありました。 ・・・Tapkaraは男性の立ち踊りで、両手を前に差しのべ腰を落して両肢を踏み鳴しながら舞うのであるが、儀式の時に行う最も重要な踊りであ…

伊福部昭『タプカーラ交響曲』関係エントリー

これまでに掲載したタプカーラ関係のブログエントリーから主なものを掲載しておきます。 伊福部昭年譜(1914〜2006) http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20130103/1357185254 伊福部昭『シンフォニア・タプカーラ』と三浦淳史 http://d.hatena.ne.jp/nip…

チェレプニン作品の日本での演奏歴(1927〜1981)

小川昂編『新編日本の交響楽団定期演奏会記録:1927-1981』のチェレプニンの項目を見たら、下記の3曲が掲載されていました。いずれも本人が来日した時の演奏会です。それ以降少なくとも1981年まで、日本のプロオケはチェレプニンを取り上げていないのですね…

チェレプニン・コレクションの演奏歴

チェレプニン・コレクションとして出版された曲のうち、管弦楽作品は全部で5曲です。これらは全てこれまでに演奏したことがあります。 作曲者『曲名』演奏年月日 指揮者 近衛直麿、近衛秀麿編曲『越天楽』1985/1/27 山岡重信 箕作秋吉『小交響曲ニ長調』1976…

伊福部昭のマナーはチェレプニン仕込み

伊福部昭先生に初めてお目にかかったのは1980年、先生66歳の時でした。ダンディでおしゃれな先生の印象はその後も2006年に亡くなられるまでずっと変わりませんでした。その先生のマナーについても、木部さんの本に書かれていました。 チェレプニンは伊福部に…

伊福部昭とチェレプニンは何語で会話したか

1936年7月伊福部昭はチェレプニンに1ヶ月近く作曲のレッスンを受けましたが、いったい何語で会話していたのかずっと不思議に思っていました。伊福部は北海道帝国大学を卒業していますので、英語とドイツ語はできたでしょう。一方チェレプニンはロシア人で、…

チェレプニンと伊福部昭

チェレプニンが初めて伊福部昭にあったのは1936年7月28日のことでしたが、その後の交流について熊沢論文には次のようにありました。熊沢さんは伊福部先生にインタビューをされたそうです。 また、チェレプニンは7月に、初めて伊福部昭と出会う。横浜にやって…