ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

2011-02-01から1ヶ月間の記事一覧

奥田恵二『「アメリカ音楽」の誕生』目次(5)

いよいよ唯是震一の師事したヘンリー・カウェル(Henry Cowell, 1897-1965)が第12章に登場です。 第11章 ポピュラー音楽の流れ-その後……249 カントリー音楽 カントリー音楽の推移 ジャズの発展 リズム・エンド・ブルーズとロックンロール ヒット・チャート …

彫刻家・佐藤忠良

日本経済新聞連載「私の履歴書」は現在画家の安野光雅さんですが、昨日は彫刻家の佐藤忠良さんとの交流がテーマでした。安野さんは芥川也寸志先生と親しくされていましたが、佐藤忠良さんは若き日に北海道で伊福部昭先生と交流がありました。 伊福部昭と佐藤…

2011-02-26の練習日記

柴山先生の指導で唯是作品をひととおり通してから、ドヴォルジャークの第1と3楽章。「付点四分音符+八分音符+八分音符+付点四分音符」のリズムについて、2小節目の八分音符に飛び込まないできちんとテンポを維持するようにと再度注意がありました。こ…

ナディア・ブーランジェのウェブサイト

ブーランジェのウェブサイトには下記のものがありました。 ◆Fondation internationale Nadia et Lili Boulanger 〔ナディア&リリー・ブーランジェ国際財団(パリ)〕 http://www.fondation-boulanger.com/ ◆Nadia Boulanger http://www.nadiaboulanger.org/…

2011-02-26の予定

場所:G-Plaza Hall No.2 (譜面台すこしあり) 時間:15:00〜17:00 Vn.2ndパート練習 16:30〜 招待状発送作業 18:00〜18:25 唯是 18:30〜19:45 ドヴォルジャーク1→3 19:55〜21:15 ドーソン1

ナディア・ブーランジェ年譜

『ナディア・ブーランジェとの対話』の巻末に載っていた年譜をもとにまとめてみました。 西暦(年齢) 事項 1887 9月16日、ナディア・ブーランジェ、パリで出生。一家には音楽家が多く、祖母に当たるジュリエット・ブーランジェは有名な歌手であり、父、エル…

三善晃の献辞

『ナディア・ブーランジェとの対話』の冒頭にある、三善晃(1933-)の献辞から最初と最後の所を抜粋します。 献身と洞察―豊饒な精神が紡ぐ音楽の今世紀 三善晃 ナディア・ブーランジェに教えを受けた日本人はそう多くないだろう。しかしブーランジェの場合、…

コープランドの言葉 

『ナディア・ブーランジェとの対話』の中には、コープランドの発言もありました。 先生の最も高名なる弟子の一人に挙げられるアーロン・コープランドは、1960年に刊行されたアメリカのある雑誌に、次のように書いています。 「ナディア・ブーランジェのもと…

ナディア・ブーランジェの言葉

ナディア・ブーランジェ(1887-1979)との対談をまとめた『ナディア・ブーランジェとの対話』(原著は1981年刊)の中に、アメリカ音楽についての彼女の発言がありました。 新大陸から 確かに大勢のアメリカ人を育てました。今から僅か50年ほど前には誰もアメ…

奥田恵二『「アメリカ音楽」の誕生』目次(4)

第10章 チャールズ・アイヴズ/アーロン・コープランド……223 風変わりな作曲家チャールズ・アイヴズ イェール大学で伝統的な音楽技法を学ぶ 日曜作曲家アイヴズ 引用が好きだったアイヴズ 意識の流れとしての引用 空間的な音楽 金字塔『ピアノ・ソナタ第二番…

斉藤洋『ルドルフとイッパイアッテナ』

斉藤洋著『ルドルフとイッパイアッテナ』という児童書が、教養小説として最高!というつぶやきを読んで、おもわず手にとってしまいました。昔ドイツ文学を専攻していた身には、主人公の成長過程を描いた教養小説としてはゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター…

2011-02-19の練習日記

阿部真也先生の練習はドーソンの第1楽章"The bond of Africa"からゆっくり進みました。オーケストレーションの細部までよくわかり、これまでと全く違った曲の印象。第2楽章"Hope in the night"はもともとゆっくりのテンポなので、指定どおりの速さで。冒頭の…

2011-02-19の予定

阿部真也先生のドーソンです。 場所:T-West (譜面台持参下さい) 時間:18:15〜21:15 ドーソン 1→2→3

1934年=昭和九年の交響曲

ドーソンの『黒人民謡交響曲』は1934年の作曲ですが、同じ年に日本人が作曲した交響曲2曲をニッポニカでは取り上げています。 昭和9年、西暦にすれば1934年、3人の日本人作曲家が3つの交響曲を作った。オーケストラニッポニカが今回の演奏会で取り上げる…

奥田恵二『「アメリカ音楽」の誕生』目次(3)

1892年、ニューヨークのナショナル音楽院にドヴォルジャークが校長として招かれてやってきました。彼は足掛け3年にわたり学生を指導し、交響曲『新世界より』や弦楽四重奏曲『アメリカ』を作曲しました。そして弟子たちには、アメリカの黒人音楽に注目するよ…

奥田恵二『「アメリカ音楽」の誕生』目次(2)

先住民の音楽の上にヨーロッパから様々な人々が様々な音楽を持ち込んだアメリカ。更にアフリカから黒人の音楽がもたらされ、強烈な坩堝を経てゴスペル音楽、ブルース、ラグタイム、そしてジャズに結実していきました。写真は「フィドルとバンジョーに興じる…

奥田恵二『「アメリカ音楽」の誕生』目次(1)

1月に入手して読んだ『「アメリカ音楽」の誕生』の目次詳細その1です。写真は「アメリカ先住民の月食の踊り」から(p18)。 「アメリカ音楽」の誕生 : 社会・文化の変容の中で / 奥田恵二 河出書房新社, 2005 305p ; 22 cm 目次: 第1章 アメリカ先住民たち…

2011-02-15の某所日記

昨日は裏方の打ち合わせに某新人も加わりにぎやかに話しました。早速3月13日日曜日に新人歓迎音出し宴会をやることがまとまりました。会場は忘年会と同じくO邸です。 招待状を発送する準備も進め、あて先リストを端からチェックしていきました。第1回の発送…

唯是震一『神仙調舞曲:続 私の半生記』

唯是震一(ゆいぜ・しんいち、1923-)の自伝の続編を古書店から入手しました。『神仙調舞曲:続 私の半生記』(砂子屋書房、1988) これも作曲者の所属する正派邦楽会の機関誌『楽道』に連載したものをまとめたもので、小樽高商を卒業し就職してから、東京音…

唯是震一『私の半生記』:復員そして復学

身辺整理をして復員を待つ日々が続く中、近所の家から山田流の筝の音が聴こえてきました。思い切って訪ねてみると、その家の娘さんが弾いていたのでした。 復員の日まで …私は簡単に自己紹介をして、私にも弾かせてほしいと少々強引に頼み、部屋に上げてもら…

知里幸恵 銀のしずく記念館友の会通信

昨年オープンした「知里幸恵 銀のしずく記念館」から、友の会通信第1号が届きました。 ◆記念館のサイトはこちらです。 知里幸恵 銀のしずく記念館 http://www9.plala.or.jp/shirokanipe/index.html ◆ニッポニカで演奏した伊藤昇作品との関係はこちら。 http:…

唯是震一『私の半生記』:横谷英次君のピアノ

1944年(昭和19)に震一は幹部候補生に合格し、札幌市郊外の恵庭教育隊に派遣されました。翌年1月釧路から得撫(ウルップ)島へ向かうことになり、釧路の叔母の所でしばらく待機しました。叔母の友人勝見さん宅で同僚の横谷英次君がピアノを練習するのを聴く…