ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

大木惇夫『緑地ありや』第12章

妻病みて 医者を呼ぶとて 日の暮れの
巷路ゆけば、こがらしに吹かれて行けば、
みちばたの小暗きに ほのじろき水鉢に
水仙の芽のさむざむ明かりぬ。わが胸も
ややにふるへぬ、ふるへつつ 見やりつつ
巷路をとぼとぼ行けり、こがらしに
吹かれて行けり。
    ― 日の暮れ

 大木には金になる大きな仕事が舞い込み、まとまった前借で入院費や借金もあらかた片付けることができました。恵子が元気になって退院し、誕生祝の席で手伝いに来ていた女学生が『明日の花』を歌いました。これは大木が『基督の生涯』の翻訳をしていた頃、山田耕筰が大木の詩に作曲したものでした。その頃ドイツから帰ったばかりの山田耕筰は大木を突然たずねてきて自邸に招き、自らピアノを弾いて歌ってくれました。
 そのうちに大木は中央公論社の出版する『千夜一夜』の翻訳団の一員となり、団長格の大宅壮一が自宅近くの吉祥寺の二階家をみつけてきてくれ、大木夫妻はそこへ引っ越しました。しかしその頃から恵子の病気がぶり返し、寝たり起きたりするようになりました。
 恵子は淋しがってしきりに玩具を欲しがるようになり、大木は外出するたびに動く人形や動物の玩具を買って来ました。恵子の病状は悪化するばかりで、ある日直腸癌がみつかり、手術のために寝台自動車で病院へ向かいました。