ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

作詩家

追悼・秋山邦晴さん

第32回演奏会でとりあげる秋山邦晴さんは、1929年東京に生れ、1996年に亡くなられました。翌1997年始めにヴィオラの奥平さんが書かれた追悼文がありますので、ご紹介します。【】の数字は編集子による注です。 秋山邦晴さんのこと 新響ヴィオラ奏者 奥平 一 …

オマージュ瀧口修造展

佐谷画廊代表の佐谷和彦(1928-2008)が、1981年から2006年まで28回にわたって開催した展覧会。詩人、美術評論家の瀧口修造(1903-1979)の月命日である7月に、1999年までは銀座の佐谷画廊で、2000年に銀座から荻窪に移ってからは各地の会場で開催された。毎…

瀧口修造のミクロコスモス

『太陽』382号(平凡社、1993年4月)の特集は、「瀧口修造のミクロコスモス」と題して縦横に瀧口を紹介しています。秋山邦晴あての「リバティ・パスポート」も。秋山は寄稿の中で実験工房について触れています。 【特集・瀧口修造のミクロコスモス】…5 宇宙…

『車塵集』のふるさと

先週末に大連へ行ってきました。『車塵集』のふるさとに少し近づいた気がします。佐藤春夫訳『車塵集』の原詩の作者についての紹介文から、5人の女性の概要をひろってみました。()内は詩のタイトルです。時間と空間を超えて詩人の人となりについて想像を膨…

佐藤春夫『車塵集』と芥川也寸志……生誕90年企画に寄せて

『車塵集』は中国六朝から明清時代の女性32人の漢詩48篇を、詩人・佐藤春夫(1892-1964)が翻訳し1929年に武蔵野書院から出版した詩集です。近くの図書館から佐藤春夫『車塵集・ほるとがる文』(講談社文芸文庫、1994)を借りてきて読んでみました。詩集の最…

権藤敦子『高野辰之と唱歌の時代』

広島大学大学院教育学研究科教授の権藤敦子さんから、高野辰之(たかの・たつゆき、1876-1947)に関する研究書をご寄贈いただきました。高野は国文学を学んだ後に東京音楽学校に務め、「故郷」「春よ来い」「おぼろ月夜」などの唱歌の作詞をてがけたといわれ…

ゲーテとヴァレリー

ゲーテ研究の大家である恩師の講演を久しぶりに聴いた。題は『シュヴァイツァーのゲーテ論』。80歳近い恩師はしかし40年前と同じくよどみのない口調で90分を話された。大学を退官後はドイツの大学でゲーテを講じられたとのこと。「最近はドイツでゲーテを学…

堀辰雄『風立ちぬ』

映画の封切り前にと『風立ちぬ』の文庫本を買って一気に読んだ。美しい小説だった。堀辰雄(1904-1953)を読むのはおそらく初めて。東大仏文科かと思ったら国文科の出身で、芥川龍之介とも親交があり、その自殺にショックを受けたとのこと。卒論も「芥川龍之…

深尾贇之丞『詩集 天の鍵』

『日本の歌』の作詩者深尾須磨子(ふかお・すまこ、1888-1974)は、夫の深尾贇之丞(ふかお・ひろのすけ、1886-1920)が亡くなった後に与謝野晶子にすすめられて夫の遺稿集である『詩集 天の鍵』(アルス、1921)を出版しました。そこには贇之丞の詩27作品と…

深尾須磨子

『日本の歌』の詩を書いた深尾須磨子(ふかお・すまこ、1888-1974)については、『笛吹き女』をやったときにいろいろ調べました。 昭和九年の交響曲シリーズその1 http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20100818/1282133933 前半生の概略を載せておきます。…

『詩と音楽』創刊号

『もう直き春になるだらう』は、1937年(昭和12年)に結成された詩人と作曲家のグループ「ポム・クラブ」の第3回演奏会で発表された作品です。その演奏会の内容がそっくり掲載されている雑誌『詩と音楽』の内容を載せておきます。前半18ページが詩と作者の言…

安西冬衛『軍艦茉莉』

安西冬衛が詩作をした大連は、1900年頃にロシアが進出して開発した街でした。パリを模して中心の大広場から放射状に道路がのびていく都市計画が立てられました。1904-5年の日露戦争に勝った日本はこの地を手に入れ、多くの建築家が海を渡り大規模な都市造り…

城左門と安西冬衛

城左門(1904-1976)の詩集『終の栖』(1942)に収められている詩に「九夢」というのがありました。冒頭を引用します。 九夢 ――ねえ、叔父さん と、九ツになる姪が云ふのだつた、 おかつぱ頭を、おしやまに傾けて、 ――日本海をねえ、――え?日本海を? 蝶々が…

城左門

『もう直き春になるだらう』の作詩者城左門(じょう・さもん、1904-1976)については何も知らなかったので、図書館で『城左門全詩集』(牧神社、1976)を借りてきました。別刷解説に2ページにわたって「自伝」が載っていたので、その冒頭を引用します。橋本…

深井史郎作曲『春幾春』と城左門

作曲家深井史郎の年譜には、『リンドバーグの飛行』に関わった1935年に、歌曲『春幾春』(はるまたはる)の初演が行われたことが書かれています。初演は1935年6月3日日本歌曲新作演奏会にて、太田(荻野)綾子独唱、指揮菅原明朗、新響、となっています。(…

雑誌『詩と音楽』創刊号が届きました

先週日本近代音楽館でお目にかかったLさんが、雑誌『詩と音楽』の創刊号(1938年)を貸してくださいました。今日郵便で届いたので早速開けてみると、城左門『もう直き春になるだらう』の詩があり、巻末には山田和男作曲の楽譜がついています。それだけでも嬉…

知里幸恵 銀のしずく記念館友の会通信

昨年オープンした「知里幸恵 銀のしずく記念館」から、友の会通信第1号が届きました。 ◆記念館のサイトはこちらです。 知里幸恵 銀のしずく記念館 http://www9.plala.or.jp/shirokanipe/index.html ◆ニッポニカで演奏した伊藤昇作品との関係はこちら。 http:…

大木惇夫−宮田毬栄

宮田毬栄著『追憶の作家たち』を読み終わりました。登場する7人の作家のうち、私が読んだことのあるのは松本清張くらいなのですが、他の人たち、西條八十、埴谷雄高、島尾敏雄、石川淳、大岡昇平、日野啓三それぞれの作家としての生き様が伝わってきて、編集…

西條八十『東京音頭』

昨日は神宮球場でヤクルト最終戦を観ました。ヤクルトが点をとると『東京音頭』が流れてみんなで歌います。昨日は4回歌いましたが、この曲は中山晋平(なかやま・しんぺい、1887-1952)作曲、西條八十(さいじょう・やそ、1892-1970)作詩、1933年の発表。…

大木惇夫―宮田毬栄―松本清張

詩人大木惇夫の娘、宮田毬栄著『追憶の作家たち』(文春新書、2004)を読み始めたら、最初が松本清張。宮田さんが中央公論社に入って最初に担当したのが松本清張で、編集者としてきたえられた話が見事な筆致で綴られています。執筆に専念する著者に代わって…

大木惇夫

今朝のNHK俳句のゲストは、文芸評論家・エッセイスト・元編集者の宮田毬栄(みやた・まりえ)さん。詩人大木惇夫の娘で、妹は俳人の大木あまり、と紹介されていました。小説『蛇を踏む』で芥川賞を受賞した作家川上弘美の、賞の選考結果を待つ間の句会で、宮…

リルケ『秋』

すっかり秋になりました。 秋 木の葉が落ちる 落ちる 遠くからのように 大空の遠い園生(そのふ)が枯れたように 木の葉は否定の身ぶりで落ちる そして夜々には 重たい地球が あらゆる星の群から 寂寥のなかへ落ちる われわれはみんな落ちる この手も落ちる …

リルケ『秋の日』

9月になり、コオロギやカネタタキが聞こえ、ふとまたリルケを思い出しました。 秋の日 主よ 秋です 夏は偉大でした あなたの陰影(かげ)を日時計のうえにお置き下さい そして平野に風をお放ち下さい 最後の果実にみちることを命じ 彼等になお二日ばかり 南…

リルケ『隣人』

立原道造も親しんだ詩人の一人のリルケ(Rainer Maria Rilke, 1875-1926)の作品から、詩をひとつ掲げておきます。 Der Nachbar 隣人 Fremde Geige, gehst du mir nach? 見知らぬヴィオロンよ お前は私を追っているのか? In wieviel fernen Staedten schon …

知里幸恵 銀のしずく記念館

2005年の伊藤昇作曲『シロカニペ ランラン ピシカン』との出会いはまさに衝撃的でした。この曲名は「銀の滴(しずく)降る降るまわりに」というアイヌ語で、アイヌの少女知里幸恵(ちり・ゆきえ、1903-1922)が古老から聞き取ってまとめた『アイヌ神謡集』の…

柴田南雄『北園克衛の「三つの詩」』(演奏会プログラム)

ソプラノ独唱を伴い山田一雄指揮で演奏したこの作品の解説を書いたのは、上原誠さんでした。それによると、北園克衛(きたぞの・かつえ、1902-1978)はシュルレアリスム派の詩人で、柴田南雄(しばた・みなお、1916-1996)は立原道造や中原中也の詩にも作曲…

立原道造

2週間ほど前に本郷あたりを歩いていたら立原道造記念館というのがあり、思わずはいって詩集を一冊買ってきました。安藤元雄編『立原道造詩集』(芸林書房、2002)というその本を今日初めてひもといたところ、「旅人の夜の歌」という詩が飛び込んできました。…

大木惇夫〜渡邉暁雄〜深井史郎の不思議な縁

『平和への祈り』の詩を書いた大木惇夫は、歌人今井邦子の導きでキリスト教に入信しました(『緑地ありや』第6章)。このブログを読んだ隣のおじさんビオラから、びっくりする話を聞きました。それによると、この今井邦子が1905年に洗礼を受けたのは、フィ…

大木惇夫作詞の校歌

練習の時となりの青年ビオラY君がやってきて、「僕の中学校の校歌って、大木惇夫の作詞で、歌い出しが“みどり”で始まりましたよ」と教えてくれました。 緑の峡に 湧く清水 うけてすがしく かがよへる わが学び舎に 誇りあり これは福島県いわき市立平第三中…

大木惇夫略歴

大木惇夫(1895-1977)の自伝小説『緑地ありや』(講談社、1957)は、慶子(作中では恵子)が亡くなるまでの内容ですが、このとき大木は38歳でした。その後1941年(昭和16)に大東亜戦争が起こると、46歳の大木は徴用され宣伝班の一員としてジャワに配属され…