ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

大木惇夫『緑地ありや』第11章

 大木たちが東京へ戻った翌年に関東大震災があり、不自由な生活をしながらも大木は翻訳や詩作を続けていました。翌1924年(大正13)には翻訳書『基督の生涯』を出版し、幸い好評を博すことができました。また翌年には処女詩集『風・光・木の葉』が北原白秋の長文の序を添えて出版され、詩人として歩み始めました。その後も詩集や翻訳詩集を好調に出版し、生活の余裕も出来て恵子の世話をする女中をつけてやることもできるようになりました。
 恵子の病状は好転せず、喀血に悩まされる日々が続きました。病気のためかむら気な恵子には看護婦や女中が長続きせず、何人も交代していきました。そんな折にクリスチャンの外国婦人が経営しているガーデン・ホームへの入所が決まりました。そこは特に婦人患者には理想的な療養所(サナトリウム)でした。生活費と療養費で家計は底をついていましたが、大木はめぼしいものを質にたたきこんで費用を捻出しました。