ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

大木惇夫『緑地ありや』第13章

 恵子の直腸癌の手術は成功し、2ヵ月後には再びガーデンホームへ移転しました。しかし大木は恵子の余命が一年足らずと聞き、吉祥寺の家を引き払い、以前改造社『世界大衆文学全集』の印税で入手した恵子の大島の反物も質に入れ、神田のアパートへ引っ越しました。
 クリスマスの前夜、病室にクリスマスツリーを飾りつけました。大木は病人に背を向けて、拭いても拭いても流れる涙をぬぐいました。それからひと月後の星の明るい寒夜に、恵子は息を引きとりました。

……
うら寒き参宿(オリオン)見れば
玩具の客は われを責め、
蕭々(しょうしょう)の秋風きけば
羽根布団欲し、欲しと言ひける
かの声はわが胸を噛む。
あはれ 亡き妻、
この秋は酒さへいとど乏しくて
くさぐさの罪の幻に消え入るばかり、
薄(すすき)のそよぎ分け行けば
芭蕉にあらね
夢は枯野を駆けめぐるなり。
    ― 玩具の客

あとがきより

(前略)
少年時代から、私が悲惨であつたから、平安と光を求めた。私が低いから、高いものを求めた。醜いから、美しいものを求めた。濁つてゐるから清さを求めた。―――求めたそれらのものは、すべて詩であつた。詩は、私にとってカタルシス(精神的排出――浄化作用)であり、畢竟(ひっきょう)、詩は私にとってレミディ(救ひ)であつたというのほかはない。
    1956年12月23日夜        大木惇夫