ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

作曲家

近衛秀麿再発見シンポジウム

作曲家そして指揮者、近衛秀麿(1898-1973)の生誕120年記念シンポジウムを聴きました。近衛の編曲の実際を演奏録音などで体験し、時代の中で近衛が実践してきた音楽を辿ることができました。演奏もすばらしかったです。台風が接近したためコンサートが半分…

矢代秋雄の語る池内友次郎

矢代秋雄が師・池内友次郎の作品について語った文章が、『オルフェオの死』に載っていました。池内友次郎還暦記念演奏会のプログラムに掲載されたものです。その中から、『交響的二楽章』(1951)の前後の作品のものを抜粋します。 弦楽四重奏曲−プレリュー…

『矢代秋雄全集』

作曲家・矢代秋雄は1976年に急逝しましたが、その2年後に音楽之友社から、矢代の作品をまとめた全集が刊行されています。全12冊で監修は池内友次郎と三善晃、全部で100部作成されたとのことで、市販でなくおそらく関係者に配布されたと推察されます。代表作…

林達也『新しい和声:理論と聴感覚の統合』

ニッポニカ第33回演奏会でとりあげる島岡譲『前奏曲とフーガ ト短調』は、今回オリジナル管弦楽のピアノリダクション版から林達也先生が新たな管弦楽版を作成してくださいました。林先生は2015年に和声の教科書を執筆されており、概要は次の通りです。 新し…

島岡譲『和声:理論と実習』

島岡譲が執筆責任を担当した『和声 理論と実習』は全3巻と別巻からなりますが、1964年〜1967年に初刷が出て以来、現在でも刷を重ねて音楽之友社から刊行されています。著者に名を連ねているのは、池内友次郎、長谷川良夫、石桁真礼生、松本民之助、島岡譲、…

島岡譲年譜(その3)音楽教科書の執筆

島岡譲年譜「その3」は、還暦までに執筆、出版した数々の音楽教科書についてです。 1958(昭和33)年:11月、『和声の原理と実習』(音楽之友社)完成。自己の途が音楽理論と音楽教育にあることを自覚する。 島岡は引き続き1959年に『フーガの実習』を、196…

島岡譲年譜(その2)復学からパリ音楽院留学まで

島岡譲年譜「その2」は、東京音楽学校復学からパリ音楽院留学までです。 終戦後1946(昭和21)年、島岡は疎開先から上京し、東京音楽学校に復学しました。貧しい生活の中で焼け残ったお茶の水分教場に通い、一日中グランドピアノを弾いて渇きを癒したのでし…

島岡譲年譜(その1)終戦まで

【島岡譲先生は今回の演奏会に際してのニッポニカの取材にお元気にご対応下さいました。以下のブログは音楽史上の記述につき敬称を略させていただきますことご了解ください。】 第33回演奏会で取り上げる『前奏曲とフーガ ト短調』の作曲者、島岡譲(しまお…

作曲家グループ「深新会」の概要

1955年に作曲家池内友次郎が創設した「深新会」の、1958年までの概要です。発表会の作品名は省略してあります。 ■グループ名:深新会 メンバー:池内友次郎、貴島清彦、小泉治雄、宍戸睦郎、篠原眞、田中友子、土屋陽子、寺島尚彦、外崎幹二、内藤孝、端山貢…

池内友次郎『父・高濱虚子』(その5)晩年

作曲家・池内友次郎の自伝『父・高濱虚子:わが半生記』その5は、戦後の日仏交流、父の死、そして半生記出版まで。1953年には戦後二度目の渡仏をし、再びコンセルヴァトワールの試験審査員を務めました。その後友次郎は芸大図書館長、音楽学部長等を歴任し…

池内友次郎『父・高濱虚子』(その4)日大から芸大へ

作曲家・池内友次郎の自伝『父・高濱虚子:わが半生記』その4は、戦後に父と親しい小宮豊隆校長の招きで東京音楽学校教師となり、矢代秋雄、島岡譲らを指導する一方、日大を貴島清彦らに託して辞任した時期です。1951年には渡仏してコンセルヴァトワールの…

池内友次郎『父・高濱虚子』(その3)帰国から終戦まで

作曲家・池内友次郎の自伝『父・高濱虚子:わが半生記』その3は、パリから帰国し日大で教鞭をとり、音楽コンクールの審査員をつとめ、作曲とダンディの作曲法講義の翻訳にいそしんだ戦中生活。貴島清彦の名前が登場します。 西暦(和暦):事項 1937(昭和1…

池内友次郎『父・高濱虚子』(その2)パリ留学時代

作曲家・池内友次郎の自伝『父・高濱虚子:わが半生記』その2は、パリ音楽院に留学し、二度の帰国をはさんで過ごした20代の10年間です。友次郎はパリでダンディからメシアンまで多彩な音楽家の芸術を吸収すると共に、日本から留学した荻野綾子、平尾貴四男…

池内友次郎『父・高濱虚子』(その1)10代のころ

作曲家・池内友次郎(いけのうち・ともじろう、1906-1991)の自伝を読みました。自伝ですが『父・高濱虚子』というタイトルで、副題に『わが半生記』とあります。高名な俳人であった高濱虚子(たかはま・きょし、本名:高濱清、1874-1959)の次男として生ま…

秋山邦晴『エリック・サティ覚え書』

中学生だった1942年頃からサティに親しんでいた秋山邦晴(1929-1996)が、長年にわたり書き綴ってきたサティに関する文章や蒐集資料をまとめたもの。「1」は雑誌掲載のサティ論5本の再録と、サティの生涯をたどって書き下ろした「エリック・サティ、人と作…

生島美紀子著『天才作曲家大澤壽人』

神戸女学院大学の生島美紀子先生が、先月大澤壽人の評伝を出版されました。ニッポニカが蘇演したピアノ協奏曲やそのCD、大阪での大澤作品展などについても詳しく紹介してくださっています。 天才作曲家大澤壽人:駆けめぐるボストン・パリ・日本 / 生島美紀…

矢代秋雄『オルフェオの死』から(まとめ)

矢代秋雄(やしろ・あきお、1929-1976)の遺稿集『オルフェオの死』(深夜叢書社、1977)からの抜粋です。 メシアン ドビュッシー ハイドン ショパン、ヴォツェック、三島由紀夫 交響曲 交響曲その2 火刑台のジャンヌ・ダルク 三善晃 三善晃『交響三章』

矢代秋雄『オルフェオの死』から(9)三善晃『交響三章』

三善晃の『交響三章』のスコアが音楽之友社から1963年に出版されましたが、それについて矢代秋雄が評した文章です。初出は『音楽芸術』1963年9月号。 出版された総譜は、やや小さめな玉が、品のいい黒インクで浮上っており、大そう美しく、しかも一寸クリー…

ブリテン=ピアーズ財団のウェブサイト

作曲家ベンジャミン・ブリテン(Benjamin Britten, 1913-1976)とテノール歌手ピーター・ビアーズ(Peter Pears, 1910-1986)の作品や遺産は、英国のブリテン=ピアーズ財団(Britten-Pears Foundation)によって維持管理されています。同財団のウェブサイト…

間宮芳生『現代音楽の冒険』

間宮芳生(まみや・みちお、1929-)が世界の諸民族の民俗音楽との関わりや、創作の方法について、縦横に語った本。 現代音楽の冒険 / 間宮芳生 岩波書店、1900 211p ; 18cm (岩波新書 ; 新赤版123) 目次: はしがき プロローグ 音楽の原点を探る:「いたこ…

立花隆『武満徹・音楽創造への旅』を読む

立花隆の大作『武満徹・音楽創造への旅』(文芸春秋、2016)を読み終わる。3月の末からひと月近くかかったが、立花隆の筆勢に圧倒され息をのみつつ、毎日少しずつメモを取りながらの充実した読書だった。武満の音楽は自分で演奏した曲以外はほとんど知らない…

リムスキー・コルサコフ著、菅原明朗訳『和声法要義』

菅原明朗が翻訳し註をつけたこの『和声法要義』は、123ページからなる本文Aと、331ページからなる註Bの2冊で構成されています。リムスキー・コルサコフ(1844-1908)による原本の生成過程は、菅原の序文によると次の通りです。 1871年 リムスキー・コルサコ…

高橋アキと作曲家たち

高橋アキ『パルランド:私のピアノ人生』には多くの作曲家との交流が記されています。目次に出ている名前の外にも、本文中にある作曲家をいくつかピックアップしました。 「Part2 (2) ドロップ・サウンドの快感」より …芸高のソルフェージュの授業に宅孝二先…

菅原明朗・近衛秀麿著『楽器図説』目次

1933年に文芸春秋から出た『楽器図説』の初版です。いわゆる弦楽器の部分を近衛秀麿が書き、他はみな菅原明朗が書いています。楽器の図や演奏写真がたくさん入っています。 菅原明朗、近衛秀麿著『楽器図説』(文芸春秋社、1933)(音楽講座第5篇) 目次 序 …

菅原明朗著『楽器図説』目次

菅原明朗は1933年に『楽器図説』を文芸春秋社から出版しました。「音楽講座」というシリーズの第5篇として出したこれは265ページ、近衛秀麿との共著でした。打楽器・木管・金管・弾弦楽器を菅原が書き、弓弦楽器を近衛が担当し、戦前に10数版を重ねたそうで…

菅原明朗とイタリア(3)イタリア体験と創作

作曲家菅原明朗(1897-1988)の年譜などから、イタリア体験とイタリアに因む創作活動をひろってみました。菅原がイタリアへの思いを募らせていった足跡の一端がおわかりいただければと思います。西暦(年齢)イタリアに関連する体験と創作-1912(15)京都二…

菅原明朗とイタリア(2)イタリア旅行

菅原明朗(1897-1988)の『交響的幻影「イタリア」』(1968)の第1楽章にはラヴェンナの聖堂のモザイク、第2楽章にはスビアーコの修道院、第3楽章には彫刻家ピサーノ父子が題材として使われています。これらの題材は作曲前年の1967年、70歳の時初めてヨーロ…

菅原明朗とイタリア(1)

作曲家菅原明朗(1897-1988)は自分のふるさとについて、第一は生まれ故郷の兵庫県明石をあげたあと、第二、第三のふるさとを次のように語っています。 奈良は大正の後半七年ほどを暮した土地だが、生涯切り離せない第二のふるさとである。わたくしの歩むべ…

菅原明朗の聴いたピッツェッティ

1940年12月に歌舞伎座行われた「紀元二千六百年奉祝楽曲演奏会」では、ピッツェッティの『交響曲イ調』始め4曲が演奏されました。菅原明朗はこの演奏会を聴きに行き、さらにその後に出された録音レコードも聴いています。菅原の評論集には「奉祝レコードを聴…

菅原明朗と銀座の富士アイス

菅原明朗と永井荷風はオペラ『葛飾慕情』上演の頃、銀座の富士アイスでよく打ち合わせたそうです。富士アイスとは大正期にアイスクリームの製造販売から始まった会社で、銀座界隈にも喫茶やレストランを開業していました。菅原たちが打合せたのは、銀座4丁目…