ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

作曲家

1978年の小倉朗交響作品展

小倉朗交響作品展チケット 1978年4月1日、26日芥川也寸志と新交響楽団が「日本の交響作品展」で1976年度の鳥井音楽賞(現在のサントリー音楽賞)を受賞し、1977年8月にその受賞記念コンサートがあった直後に私は新交響楽団に入団しました。その翌1978年4月に…

第43回演奏会作曲家年表

オーケストラ・ニッポニカ第43回演奏会のテーマは「社会への眼差し」です。また林光の作品は現代中国の詩を題材にしています。そこで取り上げる4人の作曲家の年譜に同時代の日本と中国の出来事を加え、彼らがどんな「社会」を生きたのか生きているのか年表…

『林光の音楽』を紐解く

『林光の音楽』小学館、2008作曲家林光(1931-2012)は管弦楽、合唱曲、歌曲、オペラ、映画音楽など多彩なジャンルで膨大な作品を作った。この『林光の音楽』は全作品のうち作曲家が選んだ主要なものを20枚のCDに収め、作曲家本人が折々に書いた解説を集積し…

『作曲家の個展'90 林光』プログラム

『作曲家の個展90 林光』プログラムサントリー音楽財団のコンサート『作曲家の個展'90 林光』のプログラム冊子です。ニッポニカ第43回演奏会では、ここで初演された『八月の正午に太陽は……』を演奏します。この曲は林光の3つめの交響曲で、後に曲名に「第3交…

糀場富美子『未風化の7つの横顔』と『広島レクイエム』

糀場富美子『広島レクイエム』終結部、最下段がアンティークシンバル作曲家糀場富美子についての情報は、音楽事典やCDの解説などわずかなものしかありませんでした。それによると1952年広島生まれで、芸大大学院修了後の1979年、弦楽合奏のための『広島レク…

諸井三郎『交響曲第2番』あれこれ

LP「日本の管弦楽作品1914-1942」1903年生まれの諸井三郎は、山田耕筰の次の世代に当たる作曲家です。10代の頃から作曲を始め、東京帝国大学在学中には室内楽や歌曲を多く作曲し、仲間と結成した楽団スルヤで発表していました。大学卒業後1932年ベルリンに留…

藤家溪子のオペラ『LÀ-BAS OU ICI...』

藤家溪子『LÀ-BAS OU ICI...』藤家溪子は『ギター協奏曲第2番「恋すてふ」』で2000年に2回目の尾高賞を受賞しますが、その後は夫であるギタリスト山下和仁や子どもたちとのコラボレーションを行っていました。それを一段落させた後はオペラ作曲に挑み、2018…

藤家溪子『思いだす ひとびとのしぐさを』

藤家溪子『思いだす ひとびとのしぐさを』CDニッポニカ第41回演奏会で取り上げる藤家溪子作曲『思いだす ひとびとのしぐさを』は、チリの詩人ガブリエラ・ミストラルの「Beber」(ベベール=飲む、という意味のスペイン語)という詩を題材にしています。ミス…

日本の女性作曲家

小林緑編著『女性作曲家列伝』第41回演奏会では女性作曲家の作品を2曲取り上げるので、日本の女性作曲家にはどんな人がいるのか調べてみました。幸田延から渡鏡子までは『女性作曲家列伝』に掲載されており、先駆者といわれる人たちと考えられます。有馬礼…

藤倉大『どうしてこうなっちゃったか』を読む

藤倉大『どうしてこうなっちゃったか』作曲家藤倉大(1977-)が幻冬舎の雑誌『小説幻冬』に2019年5月から2021年7月にかけて連載した「どうしてこうなっちゃったか:早すぎる自伝」に加筆し、同社から単行本として出版したもの。以下、各章の主な内容。ニッ…

早坂文雄とピアニスト務川慧悟さん

高橋アキ/早坂文雄:室内のためのピアノ小品集ニッポニカ第40回演奏会が24日に終わりました。いろいろ新たな発見のあったコンサートでしたが、嬉しかったのは早坂文雄『ピアノ協奏曲』のソリスト、務川慧悟さんのアンコールでした。5月27日に務川さんが出演…

「古関裕而物語」

ニッポニカ第40回演奏会でとりあげる古関裕而『大地の反逆』についての情報は少なく、刑部芳則『古関裕而』(中公新書、2019年)では1930年の初演についてわずかにふれていて、そこには「大正12(1923)年9月1日に古関が体験した関東大震災の衝撃から生まれて…

■諸井三郎書誌

国立音楽大学図書館『塔』16号国立音楽大学図書館発行の『塔』No.16(1976年8月)には、「Bibliography series 5」として21ページから63ページにわたり「諸井三郎書誌」が掲載されている。ここではその概要を抽出しておきたい。なお諸井三郎が没したのは1977…

バラキレフが通ったカザン大学数学科

カザン大学(1928年以前)古い貴族の末裔である父親を持つバラキレフは、10歳の時母親に連れられモスクワでデュビュークのピアノレッスンを受けました。その後母親を亡くし、中学校はアレクサンドロフ寄宿学校にはいります。そしてピアノはアイスリッヒに師…

バラキレフの音楽の師たち

20世紀末のソ連の地図ミリイ・バラキレフは1837年の生まれ、ワーグナーの妻コジマや徳川慶喜と同じ年です。生まれたのはモスクワの400kmほど東にあるニジニ・ノヴゴロドで、この街はロシア第5の商工業都市だそうです。立派な劇場の写真があります(https://w…

松村禎三とキリスト教

『松村禎三作曲家の言葉』(春秋社 2012) 作曲家松村禎三とキリスト教との関わりについて、『松村禎三作曲家の言葉』(春秋社 2012)から追ってみました。オペラ『沈黙』(1993)と『ゲッセマネの夜に』(2002/2005)については前に書いたので、それ以外の…

松村禎三の著作を読む【2】

「作曲に臨む態度」 俳句との出会い。高浜虚子の次男である作曲家池内友次郎先生に師事し、結核の療養所に入るときに「俳句でもやったらどうか」と勧められた。療養所では療養俳句というのが盛んで、同好の士と俳句誌に投稿するようになった。俳人の秋元不死…

松村禎三の著作を読む【1】

ニッポニカ第38回演奏会でとりあげる作曲家、松村禎三(1929-2007)の語る世界をたどってみます。 「わが作曲語法」 1929年京都の商家に生まれたこと。仏教徒の家。10歳で父が亡くなり、クラシックのレコードを聴き、レコードコンサートでベートーベンの第5…

作曲家・入野義朗

入野義朗書誌と没後20周年コンサートのプログラム第37回演奏会でとりあげる入野義朗関連のブログ記事をまとめておきます。入野は日本における12音音楽の導入者として知られていますが、その経歴をたどってみると、自身の創作活動に留まらず、音楽関係イベン…

古関裕而の本とCD

古関裕而について参考にしたのは、去年出た次の本です。著者は1977年生まれ、日本近代史を専攻する研究者で、NHK「エール」の風俗考証を担当していました。読みやすくわかりやすいです。 刑部芳則『古関裕而 : 流行作曲家と激動の昭和 中公新書 2019年11月 …

古関裕而~オリンピックまで

36歳で終戦を迎えた古関裕而は、歌謡曲をはじめ、菊田一夫らの縁でNHKのラジオドラマや東宝ミュージカルの曲など次々に作曲していきました。「鐘の鳴る丘」「長崎の鐘」「高原列車は行く」など曲名だけでもその雰囲気が伝わってきます。ドラマ「君の名は」、…

古関裕而の戦中時代

古関裕而は21歳で東京に出てコロムビアの専属作曲家となりましたが、同期の古賀政男のようにヒット連発とはいきませんでした。この頃で有名なのは早稲田大学の応援歌『紺碧の空』や、『大阪タイガースの歌(六甲おろし)』です。上京した翌1931年に満州事変…

古関裕而の師、金須嘉之進

今年のNHK朝ドラ「エール」では、古山裕一 こと古関裕而が作曲コンクールに入選したことはでてきましたが、当時古関が師事した人物については言及がありませんでした。古関は福島の小学生の時に担任から童謡作曲の手ほどきを受けたとか、商業学校時代に入っ…

入野義朗没後20周年コンサート(演奏会プログラム)

入野義朗没後20周年コンサート入野義朗(1921-1980)の没後20周年を記念した、3回に渡るコンサートのプログラム。裏表紙には「Yosiro Vladimir IRINO 1921 Vladiostok - 1980 Tokyo」と刷られている。主催は「入野義朗没後20周年コンサート実行委員会」で、…

入野義朗『十二音の音楽:シェーンベルクとその技法』

入野義朗『十二音の音楽』入野義朗『十二音の音楽:シェーンベルクとその技法』早川書房、1953.7 序 十二音の音楽とはどういうものか …5 「十二音の音楽」は「twelve-tone music」の訳語だが、最近では「ドデカフォニー dodecaphony」という言葉がよく使われ…

「シェーンベルクとその楽派」年表

新ウィーン楽派と呼ばれるシェーンベルク、ベルク、ウェーベルンの年表を、ルネ・レイボヴィッツ『シェーンベルクとその楽派』の記述から作成してみました。ベルクとウェーベルンがシェーンベルクに師事していたのは、共に1904年から1910年の時期です。シェ…

古関裕而年譜その3:1946-1964

1950年代に発売された古関裕而のブロマイド古関裕而(1909-1989)の年譜、終戦からオリンピックまで。西暦(和暦)年齢:ことがら 1946(昭和21)37:藤山一郎、松田トシが古関の歌を歌ってヒット。 1947(昭和22)38:菊田一夫の劇に作った「雨のオランダ坂…

古関裕而年譜その2:1931-1945

古関裕而(1909-1989)の年譜、戦時中は軍歌をいろいろ作曲しました。西暦(和暦)年齢:ことがら 1931(昭和6)22:妻の金子、帝国音楽学校入学。世田谷代田へ転居。「紺碧の空」「福島行進曲」「福島小夜曲」レコード発売。藤山一郎と出会う。 1932(昭和7…

古関裕而年譜その1:1909-1930

古関裕而(1909-1989)の年譜、東京にでてくるまでです。西暦(和暦)年齢:ことがら 1909(明治42)0:8/11福島県福島市に生まれる。本名勇治。 1916(大正5)7:福島県師範附属小学校入学。 1918(大正7)9:卓上ピアノを買ってもらう。3年からの担任遠藤…

作曲家・古関裕而のバック音楽集

片山杜秀さんの「クラシックの迷宮」で古関裕而が取り上げられました。「バック音楽」とは、放送と放送の間に流される音楽です。3月28日土曜 NHKFM 午後9時05分~ 午後10時05分 ▽作曲家・古関裕而のバック音楽集~NHKアーカイブスから~ 楽曲 「スポー…