ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

マエストロ

「戦火のマエストロ・近衛秀麿」

昨日8月8日(土)20時〜22時にNHKーBS1で「戦火のマエストロ・近衛秀麿〜ユダヤ人の命を救った音楽家」を見ました。近衛が米軍から受けた尋問調書が米国国立公文書館(NARA)から発見され、ユダヤ人亡命を助けたことが記されていたそうです。他にもドイツの公…

「指揮者という仕事 阿部加奈子さん」

アッコルドのウェブサイトに、阿部加奈子さんのインタビューが掲載されいました。指揮者になった理由、ニッポニカとの出会い、そして明日の演奏会についてお話されています。 Web à cordes 指揮者という仕事 阿部加奈子さん(1) http://www.a-cordes-ronde…

山田一雄フランスの作品を振る

山田一雄(1912-1991)の最後の演奏会。 新交響楽団第132回演奏会 1991年7月21日(日)14:00 東京文化会館 指揮:山田一雄 プログラム フランク:交響曲ニ短調 ラヴェル:道化師の朝の歌 ビゼー:「アルルの女」第1組曲・第2組曲 フランクの交響曲を山田先生…

2013-08-24の練習日記、あるいは山田一雄とショーソン

今日から第24回演奏会の練習が始まりました。まずはショーソン (Ernest Chausson, 1855-1899)の交響曲。休憩時間になぜこの曲を取り上げることになったかのアナウンスがありました。それで思い出した原稿を載せておきます。 幻となったショーソンの交響曲 …

『近衛秀麿 : 日本のオーケストラをつくった男』目次

次回演奏会では歌手・荻野綾子(1898-1944)をとりあげますが、荻野の演奏会を指揮した近衛秀麿(1898-1973)の伝記が書棚にあったので、思わず取り出して一気に読み返してしまいました。東京帝大オケでの活動からベルリン行き、山田耕筰(1886-1965)との出…

石井眞木指揮『シンフォニア・タプカーラ』

東京文化会館のリハーサル室を利用しているアマチュア・オーケストラが年に一度合同で出演していた演奏会です。 第7回オーケストラ・フェスティバル−日本の管弦楽− 1990年11月18日(日)午後1時開演 東京文化会館大ホール <プログラム> 伊福部昭:交響譚詩…

石井眞木先生の指揮棒

マニラに、眞木先生の指揮棒を持参しました。北京にも持っていきました。そもそもは先生が練習の時にお忘れになったもので、ずっと前から家にいるおじさんがお届けにうかがうはずがうかがいそびれてしまったものです。先生が亡くなられてからご長男の敬さん…

マエストロ下野竜也

マニラ公演を指揮してくださった下野竜也先生はすばらしかったです。フィリピンの曲はもちろん日本の曲もすべて初めて指揮されたのですが、それぞれの曲について作曲者の意図を読み取り、それを演奏者に伝え、本番で最高の演奏ができるように導いてください…

山田一雄指揮の『ローマの松』『小組曲』

9月9日は神奈川フィルの山田一雄メモリアル・コンサートでした。先生の『序曲・荘厳なる祭典』は紀元2600年を記念して作曲されたらしいとのこと。ブリテンの『シンフォニア・ダ・レクイエム』の演奏会を思い出しました。そして『もう直き春になるだろう』と…

シモーネ・ヤングのブラ2

シモーネ・ヤング(Simone Young)指揮、ハンブルグ・フィルハーモニーのブラームス2番。軽快なテンポで進んでいったと思ったら、第1楽章のくりかえしあり。「くりかえしの1カッコを聴いたのは初めてだ!」とおじさんが叫んでいました。疾走するように4楽…

バルビローリのブラ2

今日はバルビローリ(John Barbirolli, 1899-1970)のCD。ウィーンフィル、1966年の録音(TOCE-7135)。大都会のベルリンにくらべウィーンは野趣あふれる田園の世界。自然体の演奏、素朴な味わい。1楽章は落ち着いたテンポだったけど、2楽章はかなりテンポが…

カラヤンのブラ2

昨日のサバリッシュは1・2楽章はなかなかよかったけれど、3・4楽章は今一つだなあ、と隣のおじさんがつぶやいておりました。そこで今日はカラヤン=ベルリンフィルのCDを聴いています。1986年フィルハーモニーでの録音で、カラヤン(Herbert von Karajan,…

サバリッシュのブラ2

このごろ時間があると部屋を片付けながらいろいろな音楽を聴いています。今日はサバリッシュ指揮のブラームス2番をかけました。オケはロンドンフィル、1989年の録音です(TOCE-4007)。隣のおじさん曰く「テンポ感も音楽の掘り下げ方もすごくいい。いろいろ…

山田一雄指揮『マーラー9番』が芸術祭大賞

山田一雄指揮・新日フィル演奏のマーラー『交響曲第9番』が、平成23年度文化庁芸術祭賞レコード部門の大賞を受賞しました。1月31日の贈呈式の様子が、フォンテックレコードのサイトに載っています。 「山田一雄=NJP/マーラー9番」文化庁芸術祭賞大賞贈呈式 …

日本近代音楽館編『山田一雄年譜』

山田一雄没後1年目に開催された展覧会(1992年9月1日〜27日、旧東京音楽学校奏楽堂展示室)の際に作成された年譜です。 山田一雄年譜:奏楽堂秋の特別展「山田一雄展」日本の作曲家シリーズ2 / 日本近代音楽館編 日本近代音楽財団日本近代音楽館, 1992.9 16…

折田義正編『山田一雄演奏記録』

山田一雄先生が東京音楽学校在学中の1933年から1991年に亡くなられるまでの演奏記録です。収録内容は年月日順に、作曲者名、曲名、演奏者等で、放送も含みます。作られたのは兵庫県在住の山田一雄ファンである折田義正さん。1935年生まれの折田さんは高校生…

今日はヤマカズ先生のお誕生日

1912年10月19日に山田一雄先生が東京でお生まれになりました。先生の足跡を我が家の本棚に探したら、家人が先生からいただいたご著書がでてきました。写真は目次の上に書かれた先生のサインです。 指揮の技法 / 山田一雄著 音楽之友社、1966 518p ; 22cm Web…

山田一雄『一音百態』「楽団プロメテ」結成

2歳年上の作曲家吉田隆子とは、ともに橋本國彦先生に作曲をならったのでした。先生は音楽の才能もさることながら、人間としてもダンディな人でした。理論より実践を重んじ、面倒な理屈抜きにどんどん作曲させられました。 音楽、というのは、極めて抽象的な…

山田一雄『一音百態』「楽団創生」を結成

研究科を終了後、さらに学校に残って作曲と指揮法を学びながら、お茶の水にある東京音楽学校分教場で講師に就きました。また音楽の文化活動サークルで知り合った才媛の吉田隆子さんといっしょに活動するようになりまいsた。 「これからの日本の音楽を素晴ら…

クルト・ザンデルリンク(1912-2011)

18日に指揮者ザンデルリンクが亡くなったというニュースが流れていました。山田一雄先生(1912-1991)と同じ年の生まれでした。”Berliner Morgenpost”紙の記事をご紹介します(拙訳)。 クルト・ザンデルリンク - 最後の偉大な指揮者 2011年9月18日日曜日15…

山田一雄『一音百態』「印象深い信時先生」

音楽学校を卒業してそのまま研究科に進み、合計8〜9年ほど学校に籍を置きました。そのときに出会った信時先生はとても印象深い先生でした。 若き日にドイツに留学された先生の作曲法は、当時の音楽学校のほとんどすべての先生がそうであるように、古いドイ…

山田一雄『一音百態』ビリ入学が首席で

実技の点が悪くてビリで入学した東京音楽学校でしたが、いろいろな音楽活動を続ける中で、ほかの人とは違う何かを持っていることにうすうす気がついてきました。 伴奏を依頼してくる友人たちも、そう感じていたフシがあり、こうした思いは、学校を卒業するこ…

山田一雄『一音百態』感無量「Shizukaに捧ぐ」

4年生になると、ピアノ科の先生がそれまでの日本人教師から、ユダヤ系ロシア人のレオ・シロタ先生になり、先生に師事するかたわら自作の曲をたくさん書いていました。 そしてこのころ、友人たちのピアノの伴奏を引き受け、オーケストラでは演奏しないような…

『ベルリン・東京物語:音楽家クラウス・プリングスハイム』

クラウス・プリングスハイム(Klaus Pringsheim, 1883-1972)の伝記が確かあったはず、と本棚を探してでてきた本です。 ベルリン・東京物語:音楽家クラウス・プリングスハイム / 早崎えりな 音楽之友社、1994 308, ix p ; 20cm 目次: 1.ある音楽家の半生……

ヤマカズ先生のマーラー9番CD

山田一雄指揮マーラー『交響曲第9番』のCD評が、日本経済新聞8月19日(金)夕刊のディスクレビューに載っていました。1986年6月7日東京文化会館で開催された日本芸術院賞受賞記念演奏会のライヴ録音で、演奏は新日本フィルハーモニー交響楽団です。評から抜…

山田一雄『一音百態』「プリングスハイム先生とマーラー」

昭和七年二月、東京音楽学校の奏楽堂で日本初演されたマーラーの「交響曲第5番」を聴いたわたしは、その音楽のもつ豊穣かつ宇宙的なサウンドに圧倒され、ふるえがくるほどに深い感銘を受けた。 第一楽章の冒頭で奏でられる、ソロ・トランペットによる荘厳な…

山田一雄『一音百態』「ヨコハマの休日III 悪魔の時代に『第九』を振る」

今日は8月6日。テレビに映し出されたヒロシマの平和記念式典を見ながら、『平和への祈り』を練習していた去年とはまた違った心持でした。山田先生の本の中から、『第九』についての箇所を引用します。 そもそも、わたしが初めて『第九』を振ったのは、昭和十…

山田一雄『一音百態』「学祭の芝居ストップ」

東京音楽学校に入学した年の秋の記念祭に、新劇の脚本を書いて舞台にのせました。中学のころから演劇に興味を持ち、新劇のメッカの築地小劇場にも足しげく通ったものでした。 こうした影響もあって、そのころのわたしの恋愛論を投影させて、『それは男性特有…

山田一雄『一音百態』「右向け右」に反発

1年浪人してピアノの練習に打ち込み、1931年(昭和6)東京音楽学校の予科に入学しました。この年満州事変が勃発し、体操の時間はすべて軍事教練に振り替えられました。銃の撃ち方を鍛えられたりする本格的な訓練でした。 あのころは、学生の男女比率は「1:…

山田一雄『一音百態』「うぶな少年の失恋」

東京音楽学校の分教場でピアノを勉強しつつ、同時に、梁田貞先生の成城(世田谷区)のお宅にも通って、声楽のレッスンを受けるようになった。 『城ヶ島の雨』や『どんぐりころころ』などの作曲者として知られる梁田先生は、東京音楽学校で教鞭をとられる高名…