ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

伊福部昭と早坂文雄

 「日本の交響作品展'96」のプログラムに、伊福部昭早坂文雄君の思い出」が載っていましたので抜粋しました。

 日時は定かでないが、私の中学時代、札幌に学生のよく出入りする宮原と云う御宅があった。そこの家人が、一風変わった音楽青年がいるが、一度会って見てはとのことであった。
 会って見ると、その青年は私と同年で、ピアノを奏し、当時未だ一般的ではなかったドビッシーやラヴェル等を好み、作曲の勉強をしているとのことであった。話が合うので、談論は長びき、その夜は徹宵となった。
 これが早坂君との最初の出会いである。それから、彼は連日の如く拙宅に現れ、その内、三浦淳史君も合流し、三人はよく一緒に集り、新しいレコードでもあれば何処までも聴きに出掛けたものであった。今でも忘れ難いのは、千秋庵と云う茶房でシゲティの弾いたプロコフィエフのコンチェルトの一番を聴いた時、早坂君はショックで蒼白となって倒れ一騒ぎとなったりした。(後略)

 二人の作曲家は1914年(大正3)生まれで、この出会いは1932年(昭和7)のことでした。ここにでてくる茶房「千秋庵」は、函館に創業した千秋庵から分かれてできた札幌の千秋庵と思われます。ここから更に分かれて帯広にできた千秋庵(現・六花亭)では、子どもたちの詩を掲載する『サイロ』という月刊雑誌を1960年から発行しています。この雑誌は、同業者である福島県郡山市の菓子店柏屋から送られてきた『青い窓』という児童詩誌に感動して創刊されたそうです。ちなみに柏屋は本名マエストロのご実家であります。