ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

2010-07-01から1ヶ月間の記事一覧

大木惇夫『緑地ありや』第10章

新鮮な大気と自然豊かな小田原に移転して、大木も恵子もめきめき元気になっていきました。二人の住まいは様ざまな芸術家達の溜まり場になり、談論風発の日々が続きました。ある日博文館の同僚が小田原に住む北原白秋に詩を依頼しにやってきて、大木も同行し…

日本の交響作品撰集 1927-1946(演奏会プログラム)

山田和男『交響的木曾』をニッポニカが演奏したのは2008年、選りすぐりの個性豊かな6曲を取り上げた演奏会でした。深井史郎『ジャワの唄声』は、文字通りジャワに取材した音楽と深井の親しんでいたフランス音楽のるつぼのような曲です。橋本國彦『感傷的諧謔…

『芥川也寸志管弦楽作品連続演奏会・その2 : オーケストラ・ニッポニカ第16回演奏会』(参考文献:演奏会プログラム)

本日7月12日は、芥川也寸志(1925-1989)の誕生日です。誕生から1967年までの略年譜はこちらです。それをみたら、1925年は日露交歓交響管弦楽演奏会が開催された年でした。 下記は2009年に開催した芥川也寸志連続演奏会・その2のプログラムのデータです。こ…

2010-07-10の練習日記

『寒帯林』は最初から全部丁寧に練習し、各楽章の特徴もだいぶわかってきました。第2楽章「杣の歌」には、「木曾節」がちらりと聴こえてきます。山田和男『交響的木曾』がふと浮かんできました。こちらは1939年(昭和14)の作品です。『寒帯林』を初演した…

山田和男『交響的「木曾」』(演奏会プログラム)

1991年8月13日に亡くなられた山田一雄先生の追悼演奏会プログラムです。伊福部先生の文章も載っていました。お二人の初めての出会いは1943年(昭和18)だそうです。写真集には、深井史郎といっしょのものもありました。 ◆書誌データ 山田一雄追悼演奏会 : 新…

深井史郎略年譜

西暦(和暦) 深井史郎略年譜(年齢) 世相 1907(明40) 4/4秋田県に生まれる。(1) 満鉄開業 1920(大9) 恩師石田直太郎(作曲家石田一郎父)。(13) 1922(大11) 同人誌『アカシヤ』を編集、短歌を寄稿。(15) 1923(大12) 石田一郎らと「千羽烏社」結成、同人誌『千…

2010-07-10の予定

場所:T-West(要譜面台) 時間: 18:00-19:30 寒帯林 19:45-21:30 平和への祈り

旧制高校

金沢の町を歩いていたら、石川四高記念文化交流館というのがありました。中をのぞいてきましたが、そういえば秋田県出身の深井史郎は鹿児島の第七高等学校出身だというのを思い出しました。展示の中に一高から八高までの一覧がありましたので、所在地を覚え…

下村脩さんの8月9日

下村脩さんは父上が内地に転勤になったので、満州から引き上げて諫早の中学へ転校し、軍需工場にかりだされていました。 1945年8月9日、早朝から蒸し暑い日だった。私はいつものように、長ズボンに白いシャツという服装で、諫早の工場に出勤した。午前11時少…

大木惇夫『緑地ありや』第9章

大木は少年期からロシア文学にひかれていましたが、博文館に入ってからはフランス文学やフランスの詩にも興味を持つようになっていました。そうしたある日同僚に勧められて新作のロシア小説を読み、それに刺激をうけて小説を書き始めます。 結婚生活も無事に…

大木惇夫『緑地ありや』第8章

大木は博文館で編集の仕事に邁進していました。同僚は様ざまな観点から文学や教養というものについて教えてくれました。 広島へ帰った恵子は父親から激しく非難され、体調をくずして入院してしまいました。そうして何ヶ月も過ぎた時、父親が突然事故死してし…

2010-07-04の練習日記

ビオラのパート練習はトップの伴野剛さんの的確かつ丁寧な指導の下、主に『平和への祈り』の問題箇所をさらいました。充実した練習の後はなぜか盛岡の地ビールで乾杯。伴野さんの下記演奏会の話や、ウィーン・フィルのブブゼラの話などで盛り上がりました。 …

2010-07-04の予定

Violaパート練習 時間:14:00-17:00 場所:K邸(Nagareyama-shi) 17時以降は宴会・・・

『王道楽土の交響楽』目次一覧をリンク集に追加しました

岩野裕一『王道楽土の交響楽』(音楽之友社、1999)の目次一覧を、リンク集に追加しましたのでご利用ください。 http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20100509/1273375074

下村脩さんと満州

今月の日本経済新聞連載「私の履歴書」は、ノーベル化学賞を受賞された下村脩さんです。昨日7月2日の記事中に、満州でのことがほんのすこし出てきましたので引用します。1930年代の現地の暮らしぶりがかすかに伝わってきます。伊福部昭や深井史郎が見た満州…

2010-07-03の予定

♪管楽器分奏 場所:T-West(要譜面台) 時間: 18:00-21:30 ♪弦楽器はパート練習(Vlaは4日) ♪合唱練習 場所:Green-Center 時間: 13:00-16:30

《伊福部昭傘寿記念1》『ラウダ・コンチェルタータ』(演奏会プログラム)

1993年9月にベルリンで開催した演奏会を記念した公演。ラウダの作曲年の1976年は初稿の年。 ◆書誌データ ベルリン芸術週刊参加記念演奏会 : 新交響楽団第141回演奏会 新交響楽団, 1993.10.10 [24]p ; 26cm 注記: 演奏会プログラム ; 日時・会場: 1993年10月1…

『ハノイ公演プレ・コンサート : オーケストラ・ニッポニカ第12回演奏会』(演奏会プログラム)

ニッポニカは2007年11月にハノイ公演を行いましたが、そのプレ・コンサートとして開催した演奏会のプログラムです。チェリストでベトナム国立交響楽団事務局長のンゴ・ホァン・クァンさんと、首席チェリストのチャン・チ・モさんが共演してくださいました。ま…

正則英語学校とアテネ・フランセ

大木惇夫が通っていた正則英語学校は、英語学者の斎藤秀三郎が1896年(明治29)神田に創立した学校でした。現在の正則学園高等学校の前身です。そして斎藤秀三郎の息子が、音楽家の斎藤秀雄(1902-1974)です。以前に読んだ中丸美絵『嬉遊曲、鳴りやまず : 斎藤…

大木惇夫『緑地ありや』第7章

文学は大木の大きな夢でしたが、目前の夢はフランス語の詩を原語で読むことで、そのために神田のアテネ・フランセへ通っていました。広島の恵子とは何度も手紙をやりとりし、ある日恵子は上京してきました。二人は大木の家で愛撫にのみ明け暮れる日々を過ごし…