ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

作曲家

三善晃『遠方から無へ』から(3)小中高校時代

就学前に自由学園の子供ピアノグループに通っていた三善晃(1933-2013)は、1939年(昭和14)地元の杉並区立第五小学校に入学しました。その母校で音楽の授業をするというNHKの「シリーズ 授業」の録画を、先週の練習前にみることができました(1987年6月23…

三善晃『遠方から無へ』から(2)自由学園

三善晃は1933年(昭和8)、4人兄妹の3番目として東京に生れました。母親の意向で4歳ころから自由学園の音楽教室に通いました。叱られると腹いせに自宅のピアノにかみついたそうです。兄は元NHKディレクターで音楽評論家の三善清達氏。 怨念の歯跡 四歳から自…

NHK-FM「クラシックの迷宮」3/7は「宮城県にささぐ」

片山杜秀さんの「クラシックの迷宮」、今週末は「宮城県にささぐ」と題した番組で、小杉太一郎作品ほかがとり上げられます。NHKサイトの情報を載せておきます。 クラシックの迷宮・宮城県にささぐ / 片山杜秀 NHK-FM 2015年3月7日(土)21時〜22時 再放送 3…

矢代秋雄『オルフェオの死』から(8)三善晃

矢代秋雄の遺稿集『オルフェオの死』第2部では、三善晃にも触れられています。矢代がパリ国立高等音楽院に学んだのが1951年から56年、三善は1955年から58年にかけてでした。三善はこの遺稿集の編集者の一人で、矢代の年譜を編集しています。 告白的三善晃論 …

矢代秋雄『オルフェオの死』から(7)火刑台のジャンヌ・ダルク

矢代秋雄の遺稿集『オルフェオの死』第2部では、オネゲル作曲、クローデル作詞の『火刑台のジャンヌ・ダルク』について熱く語っています。 ジャンヌのこと、そして綜合芸術 私と、この「ジャンヌ」との最初の出会いは1951年の秋だった。パリのオペラ座である…

矢代秋雄『オルフェオの死』から(6)交響曲その2

矢代秋雄の遺稿集『オルフェオの死』第4部「対談」の中にも『交響曲』が出てきました。2楽章のリズムのところ。 新作曲家論 対談:富樫康 「シンフォニー=日本人の作品」 矢代:日本語からくるリズムでしょうな。それであのリズムは結構とりにくいわけよ。…

矢代秋雄『オルフェオの死』から(5)交響曲

矢代秋雄の遺稿集『オルフェオの死』は全体が4つの部分から構成され、第1部が随筆集、第2部が「自作を語る」「わが先達・わが仲間」、第3部が短文集、第4部が「対談」です。これまで載せてきたのは全て第1部の21の随筆からいくつかを抜粋したものでした。第2…

矢代秋雄『オルフェオの死』から(4)ショパン、ヴォツェック、三島由紀夫

矢代秋雄『オルフェオの死』は、ショパン、ヴォツェック、三島由紀夫と縦横に進んで行きます。まず「私のショパン」から。 私自身のことで恐縮だが、ショパンは私の幼い日の偶像であった。十歳前頃の私は、ショパンのレコードを愛聴し、特に、バラード四曲は…

矢代秋雄『オルフェオの死』から(3)ハイドン

矢代秋雄は『オルフェオの死』でドビュッシーについてあれこれ書かれていますが、どうも矢代は「標題がいちいち邪魔になって仕方がない」そうです(p52)。自作に個性的な標題をつけた武満徹とは大違い。矢代の代表作は「交響曲」「ソナタ」「ピアノ協奏曲」…

矢代秋雄『オルフェオの死』から(2)ドビュッシー

矢代秋雄(1929-1976)の遺稿集『オルフェオの死』(深夜叢書社、1977)の「『ペレアスとメリザンド』に見る典型」では、世紀末芸術について語られいます。 こうしてみると、ドゥビュッシーこそは、世紀末芸術のチャンピオンという感じがしてくる。そして遂…

矢代秋雄『オルフェオの死』から(1)メシアン

矢代秋雄(やしろ・あきお、1929-1976)の遺稿集『オルフェオの死』(深夜叢書社、1977)を読み始めました。 「メシアンとブーレーズ : 戦後の代表的な五曲」では、第二次世界大戦終了後から20年あまりの間に創られた音楽作品の中から傑作5曲を選ぶという依…

1958年の作曲家

1958年に管弦楽作品を書いた作曲家24人の生没年を調べて、生年順に並べてみました。1958年当時の年齢も添えてあります。 氏名(生年〜没年)1958年年齢 山田耕筰(1886〜1965)72才 乗松明広(1902〜1975)56才 松平頼則(1907〜2001)51才 荻原利次(1910〜…

三善晃と矢代秋雄の本

27回演奏会でとり上げる4人のうち、三善晃と矢代秋雄の曲はやったことがありません。そこで二人の著作を入手してみました。中身については追々ブログに綴ってみたいと思います。■三善晃『遠方より無へ』(白水社、1979) ■矢代秋雄『オルフェオの死』(深夜…

唯是震一さん

作曲家で筝曲家の唯是震一(ゆいぜ・しんいち)さんが1月5日に91歳で亡くなられました。ニッポニカでは2011年に『筝と打楽器とオーケストラのためのカプリチオ』を演奏しましたが、本番だけでなく練習会場にも足を運んでくださいました。筝の独奏者は、お孫…

作曲をする安部幸明

『作曲家との対話』の中の「安部幸明」の章の内容です。3つの作品を順々に聴きながら、インタビューがすすみました。すこしだけ抜粋ししてご紹介します。 安部幸明 速いスピードの曲が好きです……ききて 田村徹―「交響曲第1番」(1957)を聴く だいたい、私の…

『作曲家との対話』

同じ時代、同じ社会を生きる作曲家の言葉をまとめた本。30年以上前のものですが、それぞれの作曲家の個性が浮かび上がります。 作曲家との対話 / 日本音楽舞踊会議・日本の作曲ゼミナール1975-1978編 新日本出版社, 1982.08 358p ; 22? 目次: まえがき …1 ■…

チェロを弾く安部幸明

片山杜秀さんの本をあれこれ読んでるのですが、『音盤博物誌』の索引で「安部幸明」を引いたら一か所に登場していました。「36. 齋藤高順と小津安二郎」の章、「軍楽隊と弦楽器」のところです。山田耕筰・近衛秀麿の日本交響楽協会ができるより前に、軍楽隊…

ブリヂストン美術館の「作曲家の個展」開催の背景

『ブリヂストン美術館50年史』の前書きを見ると、東京駅八重洲口のブリヂストン本社の中に1952年1月8日開館して以来、近代美術の展示や調査研究の他に様々な教育普及活動をしてきたことが書かれていました。開館翌月から始まった「土曜講座」は現在も続くも…

ブリヂストン美術館の「作曲家の個展」のポスター

『ブリヂストン美術館50年史:1952-2002』は、50年間の各年に4ページ位ずつを当て、その年の主な事業を日本語と英語で記述。そして展覧会やポスターなどの写真をいろいろ載せています。1957年のページには次のように書かれていましたので、「作曲家の個展」…

ブリヂストン美術館の「作曲家の個展」

安部幸明の年譜をみていたら、1958年8月30日に「ブリヂストン美術館〈作曲家の個展〉第22回安部幸明(山根銀二)開かれる」とありました。いったいこれは何かとブリヂストン美術館に聞いてみたら、1957年から58年にかけてそういう催しをやっていたそうです。…

片山杜秀の「日本のボレロ」

昨日今日は鈴木秀美X安部幸明に浸っているのですが、録音しておいた片山さんのラジオ「クラシックの迷宮」を聴いたらなんとボレロ特集。だいたいの曲はやったことがあるし、早坂のボレロは私も舞台にのってました。そして安部幸明の世界もこれに連なるものが…

池野成の映画音楽をめぐるトークショー

「池野成の映画音楽」CD発売を記念したトークショーが下記の通り開催されます。映画に使用されたギター曲の演奏付きです。 片山杜秀×出口寛泰 トークショー 【CD「池野成の映画音楽 牡丹燈籠 妖怪大戦争」発売記念】 http://dues-shinjuku.diskunion.net/s…

ワインガルトナー賞の決定(3)

ワインガルトナー賞決定の記事が載った1939年3月の『国際文化』は見開き2ページで、3枚の写真つき。背景に使われている楽譜は「優等賞に入選した秋吉元作氏の小交響曲の一部」と書かれています。この作曲者は「箕作秋吉」の筆名です。 3枚の写真の1枚はワイ…

ワインガルトナー賞の決定(2)

ワインガルトナー賞を受賞した19名の作曲家それぞれの経歴を見ると、受賞年として1937年、1938年、1939年と3種類があります。これは賞の募集に応募したのが1937年、途中で一度結果発表されたのが1938年、最終発表が1939年であったことが、『国際文化』の記事…

ワインガルトナー賞の決定(1)

26回演奏会でとり上げる安部幸明は、チェロ協奏曲でワインガルトナー賞1等入選を果たしています。ワインガルトナー賞とは1937年に来日した指揮者フェリックス・ワインガルトナーに因む賞です。「ワインガルトナー賞の決定」と題した記事が、国際文化振興会発…

片山杜秀の語る安部幸明、あるいはチェレプニン・伊福部との相克

安部幸明作品CDの片山杜秀さんの解説、あんまり字が細かいので拡大コピーして読んだら面白いのなんの。練習を重ねてきた時期に読んだので、一つ一つの言葉の意味が実によく理解できます。後半部分をまとめてみました。 ・安部の名が世に出たのは、「小組曲」…

安部幸明自伝(まとめ)

クリティーク80編の「現代日本の作曲家」シリーズ5に掲載の自伝からの抜粋編集をまとめました。 第1章 音楽にすすむまで 第2章 よき時代の東京音楽学校 第2章 よき時代の東京音楽学校(つづき) 第3章 軍隊生活 第4章 戦後の生活(1) 第4章 戦後の生活(…

安部幸明自伝(その10・最終回)

クリティーク80編の「現代日本の作曲家」シリーズ5に掲載の自伝からの抜粋編集です。 第5章 ようやく作曲三昧 30年近くの広島・京都での教員生活でしたが、東京から通っていたそうです。70代になり体調も安定し、1980年から1992年にかけて弦楽四重奏曲10番…

安部幸明自伝(その9)

クリティーク80編の「現代日本の作曲家」シリーズ5に掲載の自伝からの抜粋編集です。 第4章 戦後の生活(5)「シンフォニエッタ」初演 1965年に日フィル委嘱の『シンフォニエッタ』が初演(指揮:渡邊暁雄)、レニングラード、ワシントンDCでも演奏されま…

安部幸明自伝(その8)

クリティーク80編の「現代日本の作曲家」シリーズ5に掲載の自伝からの抜粋編集です。 第4章 戦後の生活(4)現音と外遊 『交響曲第2番』を発表した1960年に、日本現代音楽協会の委員長に選出され、1963年まで務めました。ソ連作曲家同盟との交流が始まり、…