ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

片山杜秀の語る安部幸明、あるいはチェレプニン・伊福部との相克

 安部幸明作品CD片山杜秀さんの解説、あんまり字が細かいので拡大コピーして読んだら面白いのなんの。練習を重ねてきた時期に読んだので、一つ一つの言葉の意味が実によく理解できます。後半部分をまとめてみました。

・安部の名が世に出たのは、「小組曲」(1935)と、ワインガルトナー賞を受賞した「チェロ協奏曲」(1937)。
・当時の音楽界では、西洋文明は行き詰まりこれからは東洋の時代だと主張する、チェレプニン楽派と言われる作曲家たちが力を持ち始めていた。
・安部の師事したプリングスハイムは、バッハやベートーヴェンの音楽に洋の東西を超えた普遍の表象を認めており、チェレプニン楽派とは正反対だった。
・安部はチェレプニン楽派に強く反発した意見を音楽雑誌に寄稿している(1937年)。
・1939年結成の「楽団プロメテ」は、反チェレプニン楽派的思想の安部、深井史郎、山田一雄らがメンバー


・安部の重要で個性的な作品は、戦前・戦中よりも1950−60年代に集まっている。
・理由の第1はアーニーパイル劇場の仕事を通しての舞踊音楽との出会い。
・第2はカール・オルフカルミナ・ブラーナ」(1937)との出会い→原始的オスティナートの世界。戦後にスコアを入手し学ぶ。
・第3は宮内庁楽部での指揮を通じて触れた雅楽=日本の古い伝統の世界。

 これら、バレエとオルフと雅楽という、新しい刺激が加わることで、戦後の安部の新古典的音楽は、戦前・戦中までよりも、明快で、単純化し、生き生きとし、リズムやメロディのオスティナートを多用し、時折は日本の伝統と近しいものになった。そのスタイルは、結果として、戦後の日本に深く浸透した、プロコフィエフショスタコーヴィチカバレフスキーハチャトゥリアンらのソヴィエト音楽とも、似通っていったし、日本の作曲家なら、戦後派の芥川也寸志などと近い雰囲気を持ちもした。安部の擁護者である音楽評論家の小宮多美江は、「反チェレプニン楽派」だった安部と「チェレプニン楽派」だった伊福部昭との、戦後に於ける作風の類似性を語っているが、確かに伊福部が戦後に新しく興味を持った作曲家もオルフだった。両者の志向性は、そのあたりから、具体的に繋がってくる。(p9)

出典:安部幸明作品のNAXSOS-CDの付属資料 http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20140615/1402806828

 そういえば伊福部昭バレエ音楽「プロメテの火」は、1950年の作品です。安部幸明の「楽団プロメテ」は戦前のグループでしたが。