ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

矢代秋雄『オルフェオの死』から(7)火刑台のジャンヌ・ダルク

 矢代秋雄の遺稿集『オルフェオの死』第2部では、オネゲル作曲、クローデル作詞の『火刑台のジャンヌ・ダルク』について熱く語っています。

ジャンヌのこと、そして綜合芸術
 私と、この「ジャンヌ」との最初の出会いは1951年の秋だった。パリのオペラ座である。もっとも、これが優れた作品だという評判は、フランスへ行く前からきいており、譜面も一応は見て知っていた。だからパリへ着くや、オペラ座の出しものの中にこれがあったので、すぐに見に行ったのである。そしてものすごく感激した。何に感動したのだろうか。音楽にだろうか。詩にだろうか。あるいはあの無技巧を以て、常に最高のジャンヌといわれているクロード・ノリエの演技に感激したのだろうか。いや、そんなものではない。「綜合芸術」というものの力に圧倒され、感動させられてしまったのである。(p224)

 そして都民劇場による日本初演(1959年11月)に際し、台本の翻訳を手伝ったことを書いています。

パリのジャンヌ、そして東京のジャンヌ
 安堂君が訳したものを、オタマジャクシにのせるのが僕の役であるが、安堂君自身、オタマジャクシに弱くないので、僕に渡された原稿は、すでにヴォーカルスコアに書きこまれたもので、可成の部分は、そのまま歌えるようになっていた。僕は、それをもう一度見なおし、更に音楽的、歌唱的立場から再検討し、必要があれば改訂したのであるが、その際に僕のとった方針と方法をいささか述べて置こうと思う。(中略)
 そこで、僕は、「ジャンヌ」のスコア中、あくまでも音楽優位の部分と、詩優位の部分に分類し、前者では、従来のオペラのアリアの訳詩と同じ態度をとり、たとえ言葉が舌足らずになっても旋律第一主義で音符を絶対に変更しない事を原則とした。これに反し、後者の、詩優位と僕が判断した部分に於て、どうしても仕方のない場合は、かなり大胆に日本語に従って音符を変えたりもした。(p228)

 この都民劇場公演の主役は草笛光子で、それを依頼したNHKプロデューサー・三善清達は三善晃の兄上、その席に同席していたのが芥川也寸志
オネゲル『火刑台上のジャンヌ・ダルクhttp://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20130818/1376806126