矢代秋雄『オルフェオの死』は、ショパン、ヴォツェック、三島由紀夫と縦横に進んで行きます。まず「私のショパン」から。
私自身のことで恐縮だが、ショパンは私の幼い日の偶像であった。十歳前頃の私は、ショパンのレコードを愛聴し、特に、バラード四曲は、たてつづけに何度聞いても飽きなかった。私は、早くそれ等が弾けるようになるために辛棒して、ベソをかきながらチェルニーをさらい、もう少し大きくなると、ショパンのような曲が書けるようになるために、五線紙にオタマジャクシを並べた。子供なりにショパンの楽譜を分析し、どこにその美しさがあるのか、ヤッキになった。(p80)
次にヴォツェック。ベルクのこのオペラを矢代は、パリに留学中の1952年5月にウィーン国立歌劇場の公演を、1955年4月にはハンブルグ・オペラの公演を、いずれもシャンゼリゼ劇場で観たと「ウォツェック見聞記」に書いています。彼は「ウォツェック」と表記し、文中では「W」と略記しています。
要するに「W」は早く言えば理想的なオペラである。音楽は、純音楽的にみて素晴らしく精巧に緻密に書かれ、しかも、ドラマティクな効果に富んでいる。そして筋がすぐれている上に劇の構成、少なくともオペラとしての構成にいささかのゆるぎもない。僕は、これは、近代オペラ最初の真の意味での成功作だと思う。特に、オペラに正面から取組んで成功したという点では、近代、現代のオペラ中唯一だと言っても過言ではあるまい。強いて欠点をあげるなら「演奏が難しい事」だけであろう。(p91)
そして「音楽的『豊穣の海』』論」。矢代は三島由紀夫から『豊穣の海』第3巻「暁の寺」を献本され、礼状を書いたが出しそびれているうちに著者が自決してしまったそうです。この4部作を4楽章の交響曲としてアナリーゼしています。
第一楽章「春の雪」 アレグロ・モデラート。曲想は一応優雅だが、起伏が多く、かつ堂々たる構成の大規模なソナタ形式。
第二楽章「奔馬」 荒々しいスケルツォ。マーラーの「第九」の第三楽章ロンド・ブルレスケのような。
第三楽章「暁の寺」 はなやかな、ややエキゾティックな曲趣の間奏曲。思いがけない暗い終結。
第四楽章「天人五衰」 フィナーレ。気まぐれな気分ではじまるが、だんだんとテンポがおそくなり、最後はピアニッシモで消えて行く。チャイコフスキーの「第六(悲愴)」や、あの「永遠に…」とつぶやくようなアルトのソロで終わるマーラーの「大地の歌」の終曲のような終止。第一楽章の終わりを回想しつつ去って行くという点ではブラームスの「第三」にも似ている。(p105)