クリティーク80編の「現代日本の作曲家」シリーズ5に掲載の自伝からの抜粋編集です。
第4章 戦後の生活(5)「シンフォニエッタ」初演
1965年に日フィル委嘱の『シンフォニエッタ』が初演(指揮:渡邊暁雄)、レニングラード、ワシントンDCでも演奏されました。レニングラードには作曲家同盟招待で外遊し、グルジア、アルメニア、ルーマニア、ハンガリー、チェコ、ウィーン、パリ、ベルリンと回りました。ルーマニアの音楽学者E.ボルザ氏と親しくなり、自作を紹介していただきました。
京都市立音楽短大は1969年四年制に移行し、初代の音楽学部長に選ばれました。学務に追われ学生運動などもあり、「沈思作曲する心の余裕がなくなって」きました。学部長を5年つとめ、1977年の定年で退職しました。
教職の方はまだ続いた。広島文化女子短大に音楽科併設の希望があり、設立認可の教授定員に私がいなければ否、出生地のこと、これもまたまた縁と思って引き受け五年間つとめた。以後、公職にはついていない。(p62)
広島文化学園短期大学 沿革 http://www.hbg.ac.jp/college/guide/enkaku.html