ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

作曲家

CD「池野成の映画音楽」

池野成の映画音楽作品のオリジナル・マスターテープをデジタル化したCDが、出口寛泰さんのSalidaから出ました。 池野成の映画音楽 = Sei Ikeno works for film Salida DESL-007 2014.8.13 曲目: ■牡丹燈籠(1968) = The bridge from Hades 監督:山本薩夫 …

安部幸明自伝(その7)

クリティーク80編の「現代日本の作曲家」シリーズ5に掲載の自伝からの抜粋編集です。 第4章 戦後の生活(3)京都市立音楽短大 1954年秋に、広島のエリザベトから京都市立音楽短大の教授に転じました。この大学は美術学校として1880年に創立され、1952年に…

安部幸明自伝(その6)

クリティーク80編の「現代日本の作曲家」シリーズ5に掲載の自伝からの抜粋編集です。 第4章 戦後の生活(2)行くべきと思った広島 1952年(昭和27)の夏だったと思う、神田の本屋街で、上野の教授だった音楽学者の遠藤宏先生に何年かぶりに出会った。話の…

ニッポニカ演奏の早坂文雄作品がラジオ放送

片山杜秀さん企画のNHK「クラシックの迷宮」で、2週続けてニッポニカの演奏が放送されました。第2回の再放送は8月11日(月)午前10時〜11時、NHK‐FMです。早坂文雄(1914〜1955)が8月19日に生誕100年を迎えるのを機に企画されたものです。 クラシックの迷宮…

安部幸明自伝(その5)

クリティーク80編の「現代日本の作曲家」シリーズ5に掲載の自伝からの抜粋編集です。 第4章 戦後の生活(1) 戦後の混乱期、できる仕事はなんでも片っ端から引き受けました。 プリン師[編註:プリングスハイム師]の紹介で、アーニーパイル劇場で作曲編曲係…

安部幸明自伝(その4)

クリティーク80編の「現代日本の作曲家」シリーズ5に掲載の自伝からの抜粋編集です。軍隊生活は33歳のころでした。 第3章 軍隊生活 1944年夏に召集され、横須賀海兵団に入隊し、土浦郊外阿見の航海学校分校で新兵教育を受けました。同年兵は砲術学校や水雷…

安部幸明自伝(その3)

クリティーク80編の「現代日本の作曲家」シリーズ5に掲載の自伝からの抜粋編集です。 第2章 よき時代の東京音楽学校(つづき) 1933年(昭和8)卒業し、研究科へ進んで作曲をプリングスハイム師のもとで3年間学びました。(作曲科の修了証書は第6号で、5号…

安部幸明自伝(その2)

クリティーク80編の「現代日本の作曲家」シリーズ5に掲載の自伝から抜粋編集の続きです。 第2章 よき時代の東京音楽学校 1年間猛勉強して1929年(昭和4)東京音楽学校に入学しました。30名中男子は13名、卒業後活躍した人は、声楽の長門美保、増永丈夫(藤…

安部幸明自伝(その1)

クリティーク80編の「現代日本の作曲家」シリーズ5に掲載の自伝から抜粋編集しました。 第1章 音楽にすすむまで 安部幸明は1911年(明治44)9月1日に、広島市にて生まれました。父親の転勤で東京、下関、徳島と移り、物心つくころからは千葉県松戸で過ごし…

『安部幸明』(現代日本の作曲家5)目次

安部幸明(あべ・こうめい、1911-2006)の自伝、主要作品目録などをまとめた本です。 安部幸明 / クリティーク80編著 東京 : 音楽の世界社, 1997 120p ; 21cm (現代日本の作曲家 ; 5) 内容: 口絵 1部 自伝 / 安部幸明 はじめに 第1章 音楽にすすむまで…

『プロフィール27:作曲家群像:新興作曲家聯盟の人々』目次

1930年(昭和5)4月28日に結成され、1940年(昭和15)に解散した新興作曲家聯盟(1934年近代日本作曲家聯盟、1935年日本現代作曲家聯盟と改称)所属の作曲家中、27名のプロフィール集。各人の略歴、写真、主要作品付。なお連盟は戦後1946年日本現代音楽協会…

文藝別冊『伊福部昭』片山杜秀責任編集 目次

「作品ガイド25」の詳細付きです。 伊福部昭 : ゴジラの守護神・日本作曲界の巨匠 / 片山杜秀責任編集 河出書房新社, 2014.05.31 223p ; 21cm (KAWADE夢ムック 文藝別冊) 注記: 表紙写真: 1955年頃の伊福部昭 ; 裏表紙写真: 自筆色紙「大楽必易」 ; 目次扉…

文藝別冊『伊福部昭』片山杜秀責任編集

今日は伊福部昭先生のお誕生日。片山杜秀さん渾身のムックが出たので、それを読みながらNHK「クラシックの迷宮」を聴きました。この作曲家そしてこの評論家と同時代を生きる喜びをしみじみ味わっています。 伊福部昭 : ゴジラの守護神・日本作曲界の巨匠 / …

伊福部昭作品の放送

明日5月31日は伊福部昭先生の誕生日ですが、本日と明日NHKラジオで作品演奏が。本日は朝のことでしたが明日は夜です。 クラシック倶楽部 日本人作曲家名作選 伊福部昭 チャンネル: [BSプレミアム] 2014年5月30日(金) 午前6:00〜午前6:55(55分) ジャンル:…

『伊福部昭古稀記念交響コンサート1984』CD

1984年の伊福部昭先生古希記念コンサートがCDになりました。座談会の録音もはいって3枚組です。 伊福部昭古稀記念・交響コンサート : 「ギリヤーク」から「ゴジラ」まで 1984年11月23日(祝)・東京文化会館大ホール 指揮/司会:芥川也寸志, 石井眞木 太鼓共演…

片山杜秀の語る池野成

池野成(1931-2004)と黛敏郎(1929-1997)と武満徹(1930-1996)は1歳ずつしか違わず、池野と黛は同じ伊福部昭・池内友次郎門下、池野と武満は若いころ家が近所で付き合いがあったそうな。3人は同年齢期に戦争を経験し、戦後に豊かな響きの音楽に魅せられて…

池野成にせまる〜Salidaサイトより

出口寛泰さんのSalida(サリーダ)のサイトに、池野成に関する情報がいろいろ載っていますのでご紹介します。中学生の時から弟子入りしたという小倉啓介さんのお話は、作曲家・池野成の人物像を浮かび上がらせてなかなか興味深いです。伊福部門下の永冨正之…

三浦淳史「チェレプニンの近況」(その2)

三浦淳史の語るチェレプニンの続きです。 一と昔前チェレプニン賞が邦人作曲家に提供され、次いで邦人作品が続々出版された際、一部からチェ氏の選曲方針が云々されたことがある。その結果「チェレプニン楽派」などという馬鹿げた造語さえ流布され今日でも時…

三浦淳史「チェレプニンの近況」(その1)

伊福部昭を音楽の道に引き入れた友人である三浦淳史が、戦後1950年に米国にいたチェレプニンから受け取った手紙について書いた記事があります。その中からチェレプニンの人柄や日本人作曲家との関わりについての部分を抜粋します。 氏は教師としても実に立派…

伊福部昭とHeterophony

伊福部昭「アイヌ族の音楽」には、次のくだりもありました。()内はブログ子の註。 彼らの音楽は、吾々の伝統音楽と同様に、仮令(たとえ)多人数で唄う場合でも和音の意識は無いらしい。従って彼らの音楽がHomophonyではないことは殆ど確実である。又、Sar…

2014-03-15の練習日記、あるいは伊福部昭の「アイヌ族の音楽」

昨日はタプカーラの練習でしたが、休憩時間に伊福部先生が語った「アイヌ族の音楽」という文章の紹介がありました。 ・・・Tapkaraは男性の立ち踊りで、両手を前に差しのべ腰を落して両肢を踏み鳴しながら舞うのであるが、儀式の時に行う最も重要な踊りであ…

チェレプニン作品の日本での演奏歴(1927〜1981)

小川昂編『新編日本の交響楽団定期演奏会記録:1927-1981』のチェレプニンの項目を見たら、下記の3曲が掲載されていました。いずれも本人が来日した時の演奏会です。それ以降少なくとも1981年まで、日本のプロオケはチェレプニンを取り上げていないのですね…

伊福部昭のマナーはチェレプニン仕込み

伊福部昭先生に初めてお目にかかったのは1980年、先生66歳の時でした。ダンディでおしゃれな先生の印象はその後も2006年に亡くなられるまでずっと変わりませんでした。その先生のマナーについても、木部さんの本に書かれていました。 チェレプニンは伊福部に…

伊福部昭とチェレプニンは何語で会話したか

1936年7月伊福部昭はチェレプニンに1ヶ月近く作曲のレッスンを受けましたが、いったい何語で会話していたのかずっと不思議に思っていました。伊福部は北海道帝国大学を卒業していますので、英語とドイツ語はできたでしょう。一方チェレプニンはロシア人で、…

チェレプニンと伊福部昭

チェレプニンが初めて伊福部昭にあったのは1936年7月28日のことでしたが、その後の交流について熊沢論文には次のようにありました。熊沢さんは伊福部先生にインタビューをされたそうです。 また、チェレプニンは7月に、初めて伊福部昭と出会う。横浜にやって…

チェレプニン〜パリ〜荻野綾子

A.チェレプニンがグルジアからパリに移ったのは1921年のこと。彼はパリを拠点にヨーロッパ各地で、又アメリカで演奏活動と作曲を続けていました。第一交響曲は1927年の作曲です。1920年代のパリがどんなところだったか、藤田嗣治の本に書かれていたのを思い…

今日は池野成の誕生日!

今日2月24日は、作曲家・池野成(いけの・せい、1931-2004)の誕生日です。次のコンサートで池野作品が演奏されています。 東邦音楽大学トロンボーン科 トロンボーンアンサンブルコンサート池野 成 作曲 FRAGMENT ANTIQUE 古代的断章(1984) 〔楽器編成:12…

伊福部昭「師チェレプニンとの出会い」

伊福部昭がチェレプニンに初めて会ったのは、彼の『日本狂詩曲』にチェレプニン賞の受賞が決まった翌年の1936年7月28日のことでした。この日に歌舞伎座の舞台を隣あって鑑賞したそうです。その翌日伊福部は横浜のホテルにチェレプニンを訪ねました。 翌日、…

服部慶子「清瀬保二《舞曲二曲》の楽曲分析から見た『チェレプニン・コレクション』の意義」

服部慶子氏の「チェレプニン・コレクション」に関する論考の目次です。資料2の雑誌記事には1934年から1936年にかけての記事32点(広告含む)がリストアップされています。 清瀬保二《舞曲二曲》の楽曲分析から見た『チェレプニン・コレクション』の意義 / 服…

ソチとグルジア、そしてチェレプニン

ソチ五輪が開幕中ですが、ソチってどこ?と地図を見ると、ロシアの南部、黒海の東岸の都市でした。その南にあるのがグルジア共和国です。コーカサス山脈の南にあるグルジアは、1991年にソ連邦から独立しました。グルジア人が多数を占めますが、アゼルバイジ…