ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

矢代秋雄『オルフェオの死』から(3)ハイドン

 矢代秋雄は『オルフェオの死』でドビュッシーについてあれこれ書かれていますが、どうも矢代は「標題がいちいち邪魔になって仕方がない」そうです(p52)。自作に個性的な標題をつけた武満徹とは大違い。矢代の代表作は「交響曲」「ソナタ」「ピアノ協奏曲」などなど標題がほとんどありません。
 指揮者ジャン・フルネについて。

 彼が、パドル―楽団の常任指揮者になったのは、たしか、1952年の春頃だったと思う。それまで、パリのオーケストラ中の最低だったパドル―が、急に、新鮮な響きを持つようになり、私も、ヴォルフが常任の頃には全くハナにもヒッかけなかったパドル―をきくのが毎週の楽しみになった。(p58)

 ハイドンについて。ハイドンは大好きとのこと。

 あの、いささか時代ばなれした、悠長なそして健康な暖さが私にとってはたまらない魅力なのである。(中略)
 ハイドンの傑作の大部分が、晩年、即ち1790年以後に書かれているのは見逃し得ない。1790年といえば彼は58歳、初老といわれる年齢であった。この年、彼が30年間仕えていたニコラス・エステルハーツィー公が薨じたので、楽団は解散され、ハイドンは名誉楽長として年金は貰うが実際には何の義務もなく自分のしたい創作に専念できるようになったのである。もう殿様のお気に召す様になど気を配る必要はなかった。義務感からでなく作られた晩年の作品の一つ一つは、真の創作意欲や、霊感や、野心的な探究や、新鮮さなどが最高の職人的技巧を得て完璧な表現がなわれているのは全く壮観ではないか。(p73-75)