ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

チェロを弾く安部幸明

 片山杜秀さんの本をあれこれ読んでるのですが、『音盤博物誌』の索引で「安部幸明」を引いたら一か所に登場していました。「36. 齋藤高順と小津安二郎」の章、「軍楽隊と弦楽器」のところです。山田耕筰近衛秀麿の日本交響楽協会ができるより前に、軍楽隊がドヴォルザーク『新世界』などを演奏していたそうです。管楽器は軍楽隊としても弦楽器は?なんと軍楽隊員が兼任し、上野にある東京音楽学校の教官が指導していたのでした。

 教えてもらうからには恩返しもせねばならない。たとえば昭和9年(1934)10月末日、東京音楽学校のオーケストラは、R.シュトラウスの《ツァラトゥストラはかく語りき》と《アルプス交響曲》という壮絶な曲目で、コンサートを開いた。指揮は、マーラーの弟子で同校教授のクラウス・プリングスハイム。コンサートマスターはポラックで、ヴィオラのトップを《花嫁人形》の作曲家の杉山長谷夫がつとめ、その後ろには平井康三郎もいる。チェロには、唱歌《故郷》の作曲家、岡野貞一に、呉泰次郎、安部幸明、倉田高ら。チェレスタは山田和男(一雄)だ。同校の教官、卒業生、学生を結集した、今から考えると歴史展覧会のような顔ぶれである。では、管楽器は? 当時の上野では、それはあまり教えられていなかった。木管のかなり、金管のほとんど全員、それから打楽器もコントラバスも、海軍軍楽隊だった。上野側からは、ファゴットに片山頴太郎や金子登がいたりするていど。この日は、40人近くもの軍楽隊員が賛助出演している。この時代、プリングスハイムは、師匠のマーラー交響曲の連続演奏などもしているが、それもみな、軍楽隊の応援があってこそだった。

出典:片山杜秀『音盤博物誌』(アルテスパブリッシング、2008)p220

片山杜秀『音盤博物誌』 http://www.artespublishing.com/books/903951-07-2.html