ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

三善晃『遠方から無へ』から(2)自由学園

 三善晃は1933年(昭和8)、4人兄妹の3番目として東京に生れました。母親の意向で4歳ころから自由学園音楽教室に通いました。叱られると腹いせに自宅のピアノにかみついたそうです。兄は元NHKディレクターで音楽評論家の三善清達氏。
 

怨念の歯跡
 四歳から自由学園の子供ピアノグループに通っていたが、あまり芳しい思い出は、ない。(中略)
 卒園演奏では、先生と連弾するはずのピアノのプリマを独りで弾いてしまったし、つづいてのオーケストラ演奏で持たされたトライアングルは空振りに終わった。
 こう書いていると、少し哀しい気持ちもするが、当時は結構、楽しんでいたと思う。
 ソルフェージュや作曲は、かなり熱心にやっていたし、家では兄姉妹と私の四人で、互いに譜めくりをし、連弾をして、昔気質の父を不機嫌にさせていた。
 家のピアノは、ホネゲルという、少しばかり珍品だった。これまた父の不機嫌のタネだったかもしれない。母がやりくりして買ったものだった。父と母の間には子供の教育に関して異見があったと思う。私と妹が自由学園小学校に進まなかったのも、父の意見が勝ったからだったろう。しかし私たちはピアノの個人レッスンを続け、私は作曲とヴァイオリンのレッスンにも通った。母が、私たちの激励者であり、助言者であり、監督者だった。母の力づけがなかったら、日が暮れかかるころ、通うだけで一時間もかかる先生の家へ小学生だった私たちがレッスンを受けに出掛けられはしなかったろう。今想えばありがたいことだが、当時は母の眼をくらまして練習をサボルことに腐心していた。(後略)(p181-182)

出典:三善晃著『遠方から無へ』(白水社、1979)