実技の点が悪くてビリで入学した東京音楽学校でしたが、いろいろな音楽活動を続ける中で、ほかの人とは違う何かを持っていることにうすうす気がついてきました。
伴奏を依頼してくる友人たちも、そう感じていたフシがあり、こうした思いは、学校を卒業するころになると、相当強く確信めいたものになった。その上、先生までもが、
「君の演奏には、音楽の心がある」
などと、わたしの行き方を認めるふうなことを言われて、わたしに合うような曲を、どんどん弾かせてくれる。そこで、わたしもつい図に乗ってしまい、いよいよ“わたし風”に弾くものだから、素人が聴くと、わたしが一番うまく聴こえるのだ。
(『一音百態』p98より)
その結果首席の卒業生となり、音楽学校始まって以来の初めての男子学生総代として答辞を読みました。