今日は8月6日。テレビに映し出されたヒロシマの平和記念式典を見ながら、『平和への祈り』を練習していた去年とはまた違った心持でした。山田先生の本の中から、『第九』についての箇所を引用します。
そもそも、わたしが初めて『第九』を振ったのは、昭和十七年十二月。時は戦争の真っただなかにあり、「歓喜」あるいは「自由」を歌いあげることは、社会的にもひとつの意味があった。時は移って、戦後四十年余の現在、年を追うごとに盛んに演奏されてきているこの『第九』の今日的意味は、どのようなものであろうか。[中略]
今の世界とて、状況は当時のそれと、さして変わっていないことがわかるだろう。人類が「核」によって、道端の石ころ同然に絶滅されようという時代――、わたしは、核の脅威に晒されたこの時代を、東西国家群の毒性に満ちたアクマの時代だと思う。だからこそ、何百万人もの人間がキスを交わし合って、新しい自由をつかもう――というシラーの問いかけは、現代なおかつ、重要なイミをもつ。
(『一音百態』p316-317より)