ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

山田一雄『一音百態』「右向け右」に反発

 1年浪人してピアノの練習に打ち込み、1931年(昭和6)東京音楽学校予科に入学しました。この年満州事変が勃発し、体操の時間はすべて軍事教練に振り替えられました。銃の撃ち方を鍛えられたりする本格的な訓練でした。

 あのころは、学生の男女比率は「1:5」くらいだったと思う。女生徒の方が圧倒的に多かったが、「国文学」や「音響学」「音楽心理学」「音楽史」などといった個人レッスン以外の授業は、男女合同で行われた。この場合も、男子と女子が別々の廊下を通って、別々の入り口から教室に入るように強制される。座席も、もちろん右左離れて座らされた。とにかく、万事につけ取り締まりが厳しく、特に男女間の問題については、ささいなことにも神経をとがらせていたのである。
『一音百態』p85より)

 学校のこうした体制へ反発する空気が学生の間にひろがり、黒板に「本日の軍事教練は中止」と勝手に書き込んだりしたものでした。