今日から第24回演奏会の練習が始まりました。まずはショーソン (Ernest Chausson, 1855-1899)の交響曲。休憩時間になぜこの曲を取り上げることになったかのアナウンスがありました。それで思い出した原稿を載せておきます。
幻となったショーソンの交響曲
門倉昭一(運営委員長・コントラバス)
2〜3年前のある練習日のこと、私がだいぶ早めに練習場に着くと、丁度そこへ山田先生がいらした。先生は私の顔を見つけるや否や、ニコニコしながら一冊のスコアを示された。ショーソンの交響曲である。「僕ね、いつかやりたいと思ってね。今ちょっと勉強してるんだ」とおっしゃる。新響の演奏会の曲決めに際し、先生とご相談させていただく立場に私があった故の事だったと思う。
先生は、曲に対するご自分の好みをあまりはっきりとおっしゃらなかったが、私が先生とお付き合いさせていただいた範囲で推察すれば、モーツァルト以外では、近代フランス物に相当ご執心のように思われた。例えば、ショーソン、オネゲル、フランク、サン=サーンス、ダンディの交響曲や、ミヨー、ピエルネの小品などである。
これらの曲の少しは、最近の新響の演奏会でとり上げることができた。また、山田先生の指揮でやる予定だった今日の演奏会の候補曲として、ショーソンかサン=サーンスの交響曲があがっていた。そして、先生から「新響さんにはサン=サーンスがいいでしょう」との電話を頂戴し、その後ひと月ほどで先生の訃報に接することになってしまった。サン=サーンスは残念であったが、私はやはりあのショーソンの交響曲ができなかったことが、どうしても心残りでならない。
出典:「山田一雄追悼演奏会:新交響楽団第136回演奏会」プログラム(1992.7.19)
山田和男『交響的「木曾」』(演奏会プログラム)http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20100711/