ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

山田一雄『一音百態』「プリングスハイム先生とマーラー」

 昭和七年二月、東京音楽学校の奏楽堂で日本初演されたマーラーの「交響曲第5番」を聴いたわたしは、その音楽のもつ豊穣かつ宇宙的なサウンドに圧倒され、ふるえがくるほどに深い感銘を受けた。
 第一楽章の冒頭で奏でられる、ソロ・トランペットによる荘厳な葬送行進曲。と、突如、その葬列をかき乱すかのように陽気でにぎやかな曲があらわれ、情熱的で荒々しいクライマックスの後に、再び美しい旋律へと転換してゆく。そして、打楽器の活躍。聴かせどころたっぷりの曲想。崇高さと世俗さがからみ合い、奇妙な対照を見せながら、あらゆるものをのみ込んで、見事に統一されたマーラーの曲に、そのころのわたしは身動きもできないほどに、打ちのめされた。
 このマーラーの『第五』初演の指揮は、その前年に東京音楽学校に教師として迎えられたクラウス・プリングスハイム先生であった。
[中略]
 この偉大な師・プリングスハイム先生から、わたしが受けた影響は、計り知れないほど大きい。
 二年生の時から卒業までの三年間、わたしは毎週一回、東京・麻布の先生のお宅へ伺い、作曲と音楽理論を、一対一でみっちり学んだ。その内容は、それまでわたしが知っていたバッハやベートーヴェンモーツァルトらに代表される、いわゆる“クラシック”とは異なる曲の体系だった。
 その源において、「単音」から発生した音楽は、やがて「ハーモニー」へ移行し、十九世紀末にロマン的・絢爛、そして最高に複雑極まるものになった。わたしは、その「複雑の極めつけ」をプリングスハイム先生から習ったのである。

『一音百態』p90-91より)

 マーラーの5番が奏楽堂で日本初演された演奏会は、1932年(昭和7)2月27日、東京音楽学校定期演奏会でした。(早崎えりな『ベルリン・東京物語』音楽之友社1994、p307)