ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

チェレプニン〜パリ〜荻野綾子

 A.チェレプニンがグルジアからパリに移ったのは1921年のこと。彼はパリを拠点にヨーロッパ各地で、又アメリカで演奏活動と作曲を続けていました。第一交響曲は1927年の作曲です。1920年代のパリがどんなところだったか、藤田嗣治の本に書かれていたのを思い出しました。そして荻野綾子がパリに渡ったのもその時期でした。

第1次大戦が1914〜18年、戦勝国であるフランスはその後1929年の大恐慌までの間、「自由と退廃が支配した狂乱の時代」を謳歌するのでした。
画家・藤田嗣治と芸術家たち、そして荻野綾子 http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20130829/

 第一交響曲発表の翌1928年には、橋本國彦が『笛吹き女』『感傷的諧謔』を作曲しています。そして 日本で募集したチェレプニン賞の審査は、1935年の秋から冬にかけて、パリで行われました。審査をしたのはルーセルイベール、ジル=マルシェ、タンスマン、オネゲルなどの作曲家たち。その音楽界の空気を荻野綾子も吸っていたに違いありません。