クリティーク80編の「現代日本の作曲家」シリーズ5に掲載の自伝からの抜粋編集です。軍隊生活は33歳のころでした。
第3章 軍隊生活
1944年夏に召集され、横須賀海兵団に入隊し、土浦郊外阿見の航海学校分校で新兵教育を受けました。同年兵は砲術学校や水雷学校へ転属されていきました。
こういうとき必ず身体検査を受ける。私も砲術の方へと内命があった。耳のそばで大砲はかなわんと思い、軍医に欧氏管(現在の用語で耳管)が細くて砲術は駄目なんですと言った。大学出立てのホヤホヤ医者、わかるわけがない。バツにしてくれた。(p37)
1945年になって千葉南端の海辺での作業などに従事しました。8月15日は外泊が許され、荻窪の父の家で玉音放送を聞きました。