ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

安部幸明自伝(その3)

 クリティーク80編の「現代日本の作曲家」シリーズ5に掲載の自伝からの抜粋編集です。

第2章 よき時代の東京音楽学校(つづき)

 
 1933年(昭和8)卒業し、研究科へ進んで作曲をプリングスハイム師のもとで3年間学びました。(作曲科の修了証書は第6号で、5号は呉泰次郎氏、4号は多分橋本國彦氏だそうです。)1935年(昭和10)「弦楽四重奏曲第1番」初演、翌年に卒業作品の「小組曲(大オーケストラ用)」初演。
 卒業後に小田原中学の時間講師になり、その後府立四中(現在の都立戸山高校)へ移って音楽、というか歌曲を少年たちに教えました。教え子の中に後の音楽学小泉文夫(1927-1983)がいたそうです。チェロの方の演奏も続けていて、1940年(昭和15)の紀元二千六百年記念オーケストラにも出演しました。
 世の中は1936年の2.26事件、1937年の日華事変と戦争の色が次第に濃くなってきていました。

 世相の記述ばかり多くなったが、音楽の方はというと、結構演奏会も行われていたし、放送もクラシック番組は少なくなかった。日本、日本という時代だから、邦人の作品が取り上げられたのは現代よりずっと多かった。それに今のように軽音楽だらけのようではなかった。(p28)

 1937年「弦楽四重奏曲第2番」初演。1939年に楽団プロメテを結成し2回の演奏会。1941年太平洋戦争に突入。1942年「チェロ協奏曲」(ワインガルトナー賞1等賞)ほか初演。

 私のことにもどすと1937年(昭和12)ころから、J.ローゼンシュトック氏に指揮法を習いだした。6、7年間、月に1、2回ぐらい氏の自宅に、はじめは金子登氏と、後半は山田一雄氏とであり、最後は私一人で通った。ベートーヴェンの全交響曲ブラームスチャイコフスキーなどの交響曲がテキストであった。(p32)

 1943年「弦楽四重奏曲第4番」初演。1944年夏、召集。