ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

安部幸明自伝(その5)

 クリティーク80編の「現代日本の作曲家」シリーズ5に掲載の自伝からの抜粋編集です。

第4章 戦後の生活(1)

 戦後の混乱期、できる仕事はなんでも片っ端から引き受けました。

 プリン師[編註:プリングスハイム師]の紹介で、アーニーパイル劇場で作曲編曲係になった。そして一年半くらいはつとめた。師のアシスタントみたいな形で、「ミカド」のオーケストレーションをまず行なった。この編曲は同級生の長門美保歌劇団の公演にも使用された。(のちに原譜によるものを聴いたが、私のほうがずっとよいと思った)。(p45)

 アーニーパイル劇場とは、有楽町にある東京宝塚劇場が、戦後の占領期に進駐軍によって改称されたものでした。『ミカド』はサリヴァン作曲のオペレッタで、1885年にロンドンで初演されています。安部幸明はこのほかに日劇の公演や東京放送管弦楽団で指揮もし、宮内庁の洋楽指揮者もつとめました。
 1946年に戦前の日本現代作曲家聯盟を引き継いだ日本現代音楽協会が発足し、その第1回演奏会で「クラリネット五重奏曲」初演。1947年「ピアノとオーケストラのためのパストラール」放送初演。1949年平尾貴四男らと地人会結成し、公演を重ねました。