ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

安部幸明自伝(その6)

 クリティーク80編の「現代日本の作曲家」シリーズ5に掲載の自伝からの抜粋編集です。

第4章 戦後の生活(2)行くべきと思った広島

 1952年(昭和27)の夏だったと思う、神田の本屋街で、上野の教授だった音楽学者の遠藤宏先生に何年かぶりに出会った。話の折り、広島のゴーセンスというカトリック神父が、同地に音楽大学を作りたいと情熱を燃やしている。だが、作曲、音楽理論の教授になる人が見当たらず、担当者が得られないと設立の許可が出ないのだ。年間6、7週間出校すればよいのだが、「君、助けてやるつもりはないか」とのことだった。出生地でもあり、原爆の地、何か行くべきだという気になった。(p48-49)

 そして翌1953年に安部幸明は広島エリザベト音楽短期大学の教授となりました。仕事の間に広島中央放送局の管弦楽団、合唱団の放送や公演も引き受けたそうです。

 この管弦楽団、いろいろと変転があったが、今の同地の交響楽団の芽であったのは事実だ。同地はそのころ、原爆のあとも随所に、某銀行の入り口に人影の変色が残ってもいたし、すごい被爆地という印象を各所にまざまざと残していた。(p49)

エリザベト音楽大学 沿革・年譜 http://www.eum.ac.jp/cms/site_ja.nsf/page/Guide/History.html
広島交響楽団 楽団プロフィール http://hirokyo.or.jp/html/introdu.htm