ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

三浦淳史「チェレプニンの近況」(その2)

 三浦淳史の語るチェレプニンの続きです。

一と昔前チェレプニン賞が邦人作曲家に提供され、次いで邦人作品が続々出版された際、一部からチェ氏の選曲方針が云々されたことがある。その結果「チェレプニン楽派」などという馬鹿げた造語さえ流布され今日でも時折耳に入るようである。伊福部昭の「日本狂詩曲」が第一位で入選したチェレプニン賞の審査はチェ氏の友人タンスマンとかルッセル等の世界的作曲家によって行われた筈であるし、チェ氏の個人的な趣味で曲が選ばれたのではなく、当時多少ともオリジナリティをもった作品は国民主義的傾向の作品、端的に言えば日本的作品以外には見出されなかったと思う。現代音楽に身をもって精通してきたチェ氏には邦人作曲家の書いた偽物や模造品は忽ち見破られた。

チェ氏は日本も好きだったが、何といっても北京が一番気に入られたようであった。(中略)私も後年北京に遊んでチェ氏の気持ちが解ったような気がした。北京を愛した氏がパリで西欧音楽を見につけた中国婦人と結婚されたことも自然なほほえましさを覚えるのである。

出典:三浦淳史「チェレプニンの近況」(『フィルハーモニー』22巻8号 1950年9月)p34-35