ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

安部幸明自伝(その2)

 クリティーク80編の「現代日本の作曲家」シリーズ5に掲載の自伝から抜粋編集の続きです。

第2章 よき時代の東京音楽学校

 1年間猛勉強して1929年(昭和4)東京音楽学校に入学しました。30名中男子は13名、卒業後活躍した人は、声楽の長門美保、増永丈夫(藤山一郎)、ピアノの野呂愛子、遠見豊子、豊増昇、永井進、水谷達夫、北野健次、オルガンの松本寛郎、バイオリンの本橋誠、福井直弘、榎本長四郎、平井康三郎などだそうです。チェロの先生は平井保三で、2年目くらいからH.ウィルクマイスター(1883-1936)になりました。
 純正調と平均律の違いを学んだりしながら学業を続け、学校の演奏会では合唱にも参加。ヘンデル、バッハ、ハイドンブラームスヴェルディ、第九の合唱も経験、オーケストラではブルックナーマーラーも弾きました。室内楽のチェロパートもずいぶん経験し、中でも弦楽四重奏曲に魅せられました。来日したプリングスハイム(1883-1972)に作曲を習おうと、同級の平井康三郎と週1回麻布のご自宅に通いました。とても気性の激しい先生だったようですが、

 西洋音楽の和声システムが、霧が晴れたように理解できるようになった。そんなことで作品の一つでも書いてみるかという意欲も起きて来だした。(p19)