ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

奥田恵二『「アメリカ音楽」の誕生』目次(4)

第10章 チャールズ・アイヴズ/アーロン・コープランド……223
  風変わりな作曲家チャールズ・アイヴズ
  イェール大学で伝統的な音楽技法を学ぶ
  日曜作曲家アイヴズ
  引用が好きだったアイヴズ
  意識の流れとしての引用
  空間的な音楽
  金字塔『ピアノ・ソナタ第二番』および『第四交響曲
  人生肯定の音楽
  もう一人の独創的アメリカニスト アーロン・コープランド
  新鮮なパリの息吹
  衝撃的な出世作
  社会変化にともなう発想の転換
  抽象的語法への回帰
  アイヴズとコープランド

 コープランド(1900-1990)とガーシュイン(1898-1937)は、ニューヨークのナショナル音楽院でドヴォルザークの教えを受けたルービン・ゴールドマーク(1872-1936)から音楽を学びました。しかしコープランドはゴールドマークの教えになじまず、そのころアメリカに紹介され始めていたドビュッシースクリアビンの音楽に共感していました。そしてフランスに留学し、フォンテンブローのアメリカ音楽院で学びました。写真は「日本のオーケストラを指揮するコープランド」(p247)より。

…彼は新任の若い女性作曲教師ナディア・ブーランジェ(1887-1979)とそこで出会ったのである。ブーランジェ自身は、パリ音楽院でフォーレに学んだ学術主義者で、過去の音楽全般におよぶ百科事典的なその知識は伝説的なものだった。それと同時に、新しい音楽――たとえば、ジャズやストラヴィンスキーの音楽――に対しても開いた態度を示し、学生一人一人が自らの才能を開発できるように仕向けたことが、教師としての彼女の名声を高め、作曲を志す者が多数、彼女の門を叩くことになった。アメリカからも、コープランドのほかに、ヴァージル・トムソン、ウォルター・ピストン(1894−1976)、ロイ・ハリス(1989−1979)などが彼女のもとに学んだが、それぞれが個性的な作曲家に大成したのは、彼女が自らの美的判断を生徒たちに押しつける種類の、旧式な教師ではなかったからだった。(p238)

 ウィリアム・ドーソン(1899-1900)はコープランドと同世代、日本人作曲家では菅原明朗(1897-1988)、紙恭輔(1902-1981)、伊藤昇(1903-1993)、諸井三郎(1903-1977)あたりが近いです。(ニッポニカで演奏した作曲家は『第17回演奏会プログラム』p50-53に載っています。)