ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

彫刻家・佐藤忠良

 日本経済新聞連載「私の履歴書」は現在画家の安野光雅さんですが、昨日は彫刻家の佐藤忠良さんとの交流がテーマでした。安野さんは芥川也寸志先生と親しくされていましたが、佐藤忠良さんは若き日に北海道で伊福部昭先生と交流がありました。
伊福部昭佐藤忠良 http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20101218/1292636624
 日経の記事の中に、佐藤さんのシベリア抑留時代に触れた話がありました。

 旧ソ連の崩壊直後だったから1992年の夏だったか、佐藤さんが抑留されていたバイカル湖のほとりまで、いっしょに写生に行ったことがある。何という光栄だろう。彼が直接に絵を描くところを初心者の目で見たのである。当然だが、ほかの誰もが描く方法と少しも違わない。外見に違いはない。まねのできない心の中にどうすることもできない違いがあると思えた。
 シベリア抑留時代は、佐藤さんの生涯を決定づけた。その現地とは44年ぶりの再会だ。このときロシアのテレビ局が取材に来た。「抑留生活は大変だったでしょう」と聞かれた佐藤さんは、わらって「彫刻家になるための労苦を思えば、あんなものは何でもありません」といってのけた。


出典:『私の履歴書 安野光雅〔26〕佐藤忠良さん:偉大な先人 重い言葉 ロシアで一緒に写生も(日本経済新聞 2011年2月26日(土)40面)