ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

奥田恵二『「アメリカ音楽」の誕生』目次(5)

 いよいよ唯是震一の師事したヘンリー・カウェル(Henry Cowell, 1897-1965)が第12章に登場です。

第11章 ポピュラー音楽の流れ-その後……249
  カントリー音楽
  カントリー音楽の推移
  ジャズの発展
  リズム・エンド・ブルーズとロックンロール
  ヒット・チャート
  ロック音楽の成立
  クラシックとロックの触れ合い
  フォーク・ミュージック
  ジャズのその後
  異種交配(クロスオーヴァ)

第12章 クラシック音楽の行方……271
  音楽教育・行政に貢献した作曲家たち
  非西欧的技法を採用した作曲家たち
  音それ自体に興味をもった作曲家たち
  無調音楽
  色彩主義者ジョージ・クラム
  音の自由を許す作曲家たち
  ミニマリストの音楽
  新ロマン主義的運動

 ヘンリー・カウェルに関わる記述は下記の通り。

…一方では、伝統的な音階組織の内部に留まりながら西欧的な発想を故意に避けた創作家も何人か出現した。ヘンリー・カウェル(1897-1965)、パリ生まれのエドガー・ヴァレーズ(1883-1965)、アラン・ホヴァネス(1911-2001)、ルー・ハリソン(1917-2003)、ジョージ・アンタイル(1900-1959)など、調性間の力学的な関係とソナタ形式的な展開の原理を意識的に避けた作曲家があらわれた。彼らがそれらに代えて楽曲構成の原理にしたのは、あるときは自国・異国の民俗音楽伝統であり、またあるときは音響そのものに対する興味だった。カウェルは、ピアノ鍵盤上の隣接したすべての音を手のひらや腕を用いて演奏する「音房(トーン・クラスター)」という前衛的な奏法を開発したり、ピアノの弦を直接指ではじく奏法など、新しい音響の開発に当初は意欲を示していたが、後には、ペルシャ、日本、インドネシアアイスランドの音楽や、アメリカ植民地時代の音楽を発想の原点に選んだ親しみやすい作品―しかし、同時にときとして陳腐におちいった作品―を多数作曲した。『讃美歌とフューギング・チューン』と題された旧いアメリカを題材にした作品群(1943-1947)や二曲の『琴協奏曲』(1962、1965)、21曲にのぼる交響曲には、そうした姿勢が明瞭である。(p276)

 ヘンリー・カウェルの弟子の一人がジョン・ケージ(1912-1992)でした。

…カリフォルニアに生まれたケージは、最初はカウェルやシェーンベルクの門下として、組織的に統合された音楽を学び、綿密な構造をもつ作品を書いていたが、複雑な近代和声法が聞き手に課する負担を、次第に理不尽なものと感じ、作品から和声感覚を取り除く方向に進み始めた。(中略)
 ここでもう一つ興味を呼ぶのは、カウェル、パーチ、ハリソン、ケージなど、非西欧的感覚を音楽に導入した作曲家たちが、そろってアメリカ西部を活動の出発点としていることである。(中略)西部を起点とした創作家たちは、広大なアリゾナ砂漠や、さらには太平洋を見越した東洋に発想の原点を求めることができ、より自由な立場で創造することが可能だった。(p283-284)