ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

三善晃の献辞

 『ナディア・ブーランジェとの対話』の冒頭にある、三善晃(1933-)の献辞から最初と最後の所を抜粋します。

献身と洞察―豊饒な精神が紡ぐ音楽の今世紀     三善晃
 ナディア・ブーランジェに教えを受けた日本人はそう多くないだろう。しかしブーランジェの場合、ソルフェジュや楽曲分析のレッスンが主となるので、それを見学する形で彼女の教えに接することはできた。1950年代後半にパリで出会った故矢代秋雄さんはその体験から、「マダム・コーサードは書式について厳格だけど、マドモワゼル・ブーランジェは音楽について厳格だ」と言っていた。今この『ナディア・ブーランジェとの対話』を読むと、その「厳格さ」がどのようなものであったかが解る。それは音楽への誠実な献身と人間存在への深い洞察から生まれる“心の佇い”としての厳格さであり、「音楽について」と矢代さんが言ったことに思い当たるものがある。つまり、音楽そのものが彼女の思惟の血脈として流れているのであって、その内面にはあくまで柔軟で自由な精神が息づいているのだ。
(中略)
 現代は、このような存在を核とする教育の時代ではない。第一、その核となるようなマエストロやミュージシアン・コンプレ[完璧な音楽家]がいなくなり、そういう個人による、ある意味で効率の悪い、しかし手作りの教育は失われた。替わって集団の、公平で客観的な価値基準による競争原理がシステム化されてきた。しかし、システムがどうであれ、芸術教育が求めるものはあくまで創造的な才能であり、その個々の発語の営みであろう。そうであれば教育は、やはり人間対人間の交流の現場そのものから紡ぎ出されるほかあるまい。現代の教育の場に、果たしてブーランジェほどの豊かな蓄積と情熱的な献身が、どれ程存在するだろうか。ブーランジェは言う。「誰でも音楽を感ずることができるはずです。けれど、それを読み、聴き、観るためには、音について識らねばなりません。識ったうえで創り出す語法は一人一人違っていい。そして、まさにそこに、才能が介在するのです。私は総ての音を識っています。分析も出来ます。けれど、シューベルトのたった一小節の秘密が、私にはいまだに謎のままなのです」。これだけ言える自信と謙虚を持った音楽教育家が、いま世界に、何人いるだろうか。若い音楽学生たちにも是非、熟読してもらいたい。
(作曲家・桐朋学園大学学長)