ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

2013-01-01から1年間の記事一覧

橋本國彦『笛吹き女』について

1929年の荻野綾子独唱会プログラムの最後に、『笛吹き女』について作曲者の橋本國彦が寄せた言葉が載っていました。橋本國彦25歳。 『笛吹き女』に就て 深尾須磨子氏の詩による「黴」並びに「斑猫」と姉妹曲にして、共に日本としては新らしき試みなる朗読調…

野村光一とあらえびす

荻野綾子独唱会のプログラムには、「訳詩・野村光一」と書かれていました。あら、あらえびすさんはフランス語の翻訳もやるのかしら、と思ったら、早とちりで別人でした。 野村あらえびす(1882・10・15岩手−1963・4・14東京) 日本の音楽評論家。東京大学法…

荻野綾子独唱会プログラム

『笛吹き女』の初演が行われた1929年5月23日の荻野綾子独唱会プログラム冊子は、葉書ほどの大きさで全体が18ページ。冊子のタイトルは「詩抄」となっていて、歌われたフランス歌曲の訳詩と、『笛吹き女』の歌詞が12ページにわたって載っていました。曲目ペー…

近衛秀麿編曲『フランス17世紀歌謡集』楽器編成

4曲の楽器編成は次の通りです。これに独唱ソプラノがはいります。 リュリ: 2フルート、弦楽5部 ラモー: 2フルート、オーボエ、2クラリネット、2ファゴット、2ホルン、弦楽5部 マレ: 2フルート、2オーボエ、弦楽5部 グレトリ―: 2フルート、コ…

近衛秀麿編曲『フランス17世紀歌謡集』

この曲集には次の4曲が含まれています。 近衛秀麿編曲『フランス17世紀歌謡集』 リュリ:「暗い森は陰を濃くして」〜オペラ『アマディス』よりアリア ラモー:オペラ『エベの祭り』プロローグよりアリア マレ:『私が小鳥だったなら』 グレトリー:「皆が眠…

2013-11-03の練習日記、あるいはギター

近衛秀麿編『17世紀フランス歌謡集』は、リュリ、ラモー、マレ、グレトリ―の4人の作曲家の作品からなります。リュリ、ラモー、グレトリ―はオペラの中の一曲で、マレは独唱曲です。それぞれに近衛秀麿がオーケストレーションをしていて、弦楽器に加わる管楽器…

コクトーの映画『オルフェ』上映会

ジャン・コクトー脚本の映画『オルフェ』の上映会があります。終了後講演があり、案内をみたら「コクトーの映像世界から大きな影響を受けた映画人をたどり、“オルフェ”の弟子たちに迫ってみたい。」とありました。大江健三郎作、芥川也寸志作曲のオペラ『ヒ…

荻野綾子『音、音、おと:オネッガア。ギーゼキング。モッソロウ機械音楽』

荻野綾子がパリ滞在中に書いた文には、たくさんの音楽体験が綴られていました。朝起きた時から向かいの家のピアノ、二階のロシア人の蓄音機、中庭で流行歌のジンタ……。そして毎晩のように通う音楽会。 シャトレの劇場で、ピエルネの指揮、コンセル・コロンヌ…

荻野綾子とクロワザ

荻野綾子が二回目のパリ滞在中に書いた文にクロワザが登場していましたので、抜粋しました。 巴里との握手 在巴里 荻野綾子 1931年。これは私が3年振りに巴里で迎えた年です。私が巴里のリヨンの駅に着いたら、あのなつかしい町の広告塔と、電車と、メトロの…

「五線譜に描いた夢 ─日本近代音楽の150年」展特設サイト

10月11日から始まった日本近代音楽の展示の特設サイトが開設されています。 「五線譜に描いた夢 ─日本近代音楽の150年」 http://www.operacity.jp/ag/exh157/ 会期:2013年10月11日(金)〜12月23日(月・祝)11時〜19時(月曜休み) 会場:東京オペラシティ ア…

古澤淑子とパリ・コンセルヴァトワール

古澤淑子はパリ・コンセルヴァトワールで数多くの音楽家に出会いました。チェロのモーリス・ジャンドロン、歌手のジェラール・スゼー、ジャック・ジャンセン。そして音楽教師ナディア・ブーランジェ。 毎週水曜は作曲家、ナディア・ブーランジェのサロンへ。…

古澤淑子とクロワザ(その3)

クロワザ(1882-1947)は古澤淑子の個人的問題などにも気を配ってくれたそうです。また夫人には息子が一人いました。 夫人の一粒ダネの坊や、ジャン・クロードは、当時、12、3歳。金髪で頬がボーっと赤い可愛い坊やで、学校の帰りいつも夫人を迎えにきていた…

古澤淑子とクロワザ(その2)

古澤淑子は1937年(昭和12)、クロワザ(Claire Croiza, 1882-1947)の教えるパリのコンセルヴァトワールに入学しました。淑子の師・荻野綾子がパリを訪れたときは、クロワザはまだコンセルヴァトワールで教えていませんでした。しかしレッスン風景は同様で…

古澤淑子とクロワザ(その1)

古澤淑子がパリに落ち着いたのは1937年(昭和12)。翌年には太田(荻野)綾子夫妻は帰国します。 太田綾子がまだパリにいるとき、彼女は自分の師であるマダム・クレール・クロワザのもとへ淑子を連れていく。 綾子がマダム・クロワザに師事したのが大正14年…

古澤淑子と荻野綾子(その4)

1937年(昭和12)6月にマルセイユに着いた古澤淑子は、迎えに来た荻野(太田)綾子と共に列車でパリへ向かいました。綾子が初めてパリを訪れたときもそうであったかという印象です。 列車はゆっくりとパリ市街に入っていく。淑子はもっともっと自然の中を走…