ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

古澤淑子とクロワザ(その2)

 古澤淑子は1937年(昭和12)、クロワザ(Claire Croiza, 1882-1947)の教えるパリのコンセルヴァトワールに入学しました。淑子の師・荻野綾子がパリを訪れたときは、クロワザはまだコンセルヴァトワールで教えていませんでした。しかしレッスン風景は同様であったと思われます。

 コンセルヴァトワールの授業風景
 コツコツコツ……クロワザ夫人の足音がきこえると一同、シーンとなる。少し緊張気味で待機。
 「ボンジュール、マダム」と口をそろえてあいさつをする。夫人はいつも黒か紺の無地の洋服をまとい、必ず縁のある帽子をかぶっていた。背も高く、上品で、立派だった。
 マダムの後ろに、小柄なマドモアゼル・メティンティアーノ・イヴァーナがちょこちょことついて来る。クラスつきの伴奏者で、夫人とは長い長いつき合いである。夫人の教え方はこうである。−まず生徒を一人ずつ呼んで音階の発声をやらせ、クラッシックアリア一曲とオペラ、または歌曲を歌わせる。つまり、生徒たちはつねに歌う曲を二曲用意して出席しなければならない。音程が悪かったり、体調の悪い人はそのまま帰される。歌に気持ちの入らない人は「また、いらっしゃい」なのだ。
 一番厳しく直されたのは、呼吸法。息は鼻でとり、深く、低く、吸うこと。視線を遠くに決めること。歌詞の深い意味をよく解釈すること。そうして、詩の朗読をする。歌詞の発音は、会話のフランス語の三倍くらいアクセントを誇張しなければならず、内気で口のまわらない淑子は、よくほかの生徒の嘲笑の前で鉛筆を一本横に、歯の間にくわえさせられ発音の練習をさせられた。
 だいたいにおいて悲し気になりがちな生徒は、「あなたはそんなに若くても幸福ではないのですか」とからかわれた。もうひとつ厳しかったのは曲のテンポを決めること。それが大問題で、ときにクロワザ夫人と伴奏のマドモワゼル・イヴァーナの意見が合わず、激しい言い合いになることもあった。そんなときは生徒もハラハラと気をもんだ。イヴァーナは一生、クロワザ夫人の陰で生きた女性だった。陰でひっそりとしている人が、音楽上の争いになると別人のように強かった。(中略)
 夫人がヴェルレーヌの『月の光』やボードレールの『旅への誘い』を読む声の美しさと表情の細やかさにみとれていると、この上にメロディーがなくてもよいのではないか、と思われるほど完璧だった。
 発声、発音の次は、伴奏をよく聴くこと。ことに、近代音楽は歌と伴奏の二重奏と思わなければならないといわれた。
 こうしてレッスンを重ねながら、淑子の歌い方とその態度は、まったく無駄を省いたシンプルな趣味だとほめられ、淑子は心からうれしかった。

出典:星谷とよみ『夢のあとで:フランス歌曲の珠玉 古澤淑子伝』(文園社、1993)p83-85