2013-01-01から1年間の記事一覧
古澤淑子は1937年、いよいよフランスへ留学します。このころ荻野(太田)綾子はパリで開催される国際音楽教育会議に参加のため、同じく渡仏したのでした。 淑子の留学がフランスと決定するまでに、多少の回り道があった。自由学園でも教えていただき、古澤家…
古澤淑子が荻野綾子のレッスンに通っていた1934年(昭和9)、荻野は太田太郎と結婚し太田姓になりました。 このころ、師の大きな心の変化、生活の変化など、淑子のレッスンには何ら、関係してこない。途中で、通う先生の家が変わっただけで、レッスンはさら…
古澤淑子は大連で遠藤郁子(遠藤周作の母)に唱歌を習ったのち、東京での師として荻野綾子を紹介されました。1930年(昭和5)に自由学園に入学し、フランス語を学んでいた14歳のこと。最初のレッスンでは「お嬢様芸だったらおやめなさい」といわれたそうです…
古澤淑子(1926-2001)の伝記を読み終わりました。フォーレの歌曲『夢のあとに』の楽譜を随所に配し、幼少から晩年までの写真も添えた読み応えのある伝記は、1992年1月〜12月に雑誌『婦人画報』誌上に連載されたもの。荻野綾子とクロワザについての記述はも…
近衛作品の楽譜がきたので、早速練習しました。優美なフランス音楽を味わいました。管楽器は曲により編成がいろいろですが、マレのオーボエ2番のパート譜がみつからなくて、スコアを見て吹いてもらいました。終わった後でオーボエ1番の楽譜をみたら、なんと…
荻野綾子(1898−1944)に師事した声楽家、古澤淑子(ふるさわ・よしこ、1916-2001)の伝記です。古澤は1937年にフランスへ渡り、荻野と同じくクロワザの門下生となりました。 夢のあとで:フランス歌曲の珠玉 古澤淑子伝 / 星谷とよみ 東京 : 文園社, 1993 3…
四家文子が8歳年長の荻野綾子に師事したのは1929年、『笛吹き女』初演の年でした。自伝から抜粋します。 荻野綾子 パリでクロワザに師事されて帰国、その頃わが国では未知のフランス歌曲の紹介にただ一人活躍されていた。わたしはフランスのアリアだけでは物…
四家文子の自伝には、6歳年下のヤマカズ先生も登場していましたのでご紹介します。 山田和男 山田さんとはローゼン先生が渡米された後のN響定期で、マーラーの「第二シンフォニー」を御一緒した思い出が強烈に残っている。 (中略) (ベートーヴェンの「荘…
戦前から戦後にかけて活躍した声楽家・四家文子(よつや・ふみこ、1906-1981)は、東京音楽学校で橋本國彦の1級下でした。彼女の自伝『歌ひとすじの半世紀』には橋本についての章もありましたので、抜粋を紹介します。 橋本国彦 彼はわたしの一年上のクラス…
荻野綾子について書かれた本を集めています。今日は荻野の後輩にあたる声楽家四家文子の自伝が、郡山の古本屋から届きました。郡山といえば2000年の暮に第九の演奏会で行った覚えがあります。会津第九の会主催のコンサートでした。 会津第九の会 http://www.…
『笛吹き女』の作曲者、橋本國彦の略年譜です。()内は年齢 1904 9/14東京市本郷に生まれる。後大阪に転居。 1914 この頃、鼓笛隊を結成し、小学校内で演奏した 1918 辻吉之助にヴァイオリンを学ぶ(14) 1923 東京音楽学校予科に入学(19) 1924 東京音楽…
日本近代音楽観編『作曲家群像』の橋本國彦の項目を見たら、次の記述がありました。 橋本國彦 1904(明治37)9.14〜1949(昭和24)5.6 (前略) 翌28年、フランスより帰国した荻野綾子のリサイタルで歌われたフランス歌曲に感銘を受け、深尾須磨子詩による「…
ニッポニカ第24回演奏会では、荻野綾子が1929年の独唱会プログラムで歌った歌曲を取り上げます。 1898 11/2福岡に生まれる 1915 福岡高等女学校卒業、東京音楽学校入学。 1919 東京音楽学校声楽科卒業。 1921 東京音楽学校研究科修了。文化学院で教える。 19…
ホテルオークラの隣にある大倉集古館へ行ったところ、「大倉コレクションの精華II」と題した展覧会をやっていました。1930年に大倉喜七郎の資金で横山大観を中心にローマで開催された、日本美術展の出品作品を中心とした展示でした。このローマ展については…
今日の練習は充実していました。オーケストラの極意をいろいろ学びました。もう40年以上オーケストラで弾いているけれど、まだまだ奥が深いです。あー楽しい! 帰りがけにヴァイオリンのMさんがピアノ伴奏でやるコンサートの案内をくださいました。名付けて…