ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

荻野綾子とクロワザ

 荻野綾子が二回目のパリ滞在中に書いた文にクロワザが登場していましたので、抜粋しました。

巴里との握手   在巴里 荻野綾子
 1931年。これは私が3年振りに巴里で迎えた年です。私が巴里のリヨンの駅に着いたら、あのなつかしい町の広告塔と、電車と、メトロの灯と、自動車と路と、色々の店と、並木と……やっと目をさましたばかりの種々のものが、一時に私を迎えてくれました。(中略)
 町々には、私の大好きなミモザと、ヴィオレと、リラと、もう春を歌う花が埋めていました。これも私の心をふるえさせたものです。(中略)
 〜〜片端からオーケストラを聞きます。これはと思う音楽会はみんなのがさぬ様に……ボレロを指揮したラヴェルの姿も、トロカデロの大ホールを唸らせたローゼンタールのピアノも(シューマンのコンチェルトとリストのハンガリアファンタヂイ)私には天国を見せてくれます。(中略)
 巴里に来てからも一つ私の嬉しいのは、私の先生達にお目にかかった事です。マダム・クロワザの胸に抱かれたままものを云えない程喜んでしまいました。山程のお話をし、巴里での仕事についてお教えを受けました。最初の先生の言葉は、『真面目な勉強を始めましょう。』『三年目の進歩を聞かせて下さい』というのでした。人間として先生を尊敬せずにはいられません。私は、心と心の物語りが、言葉無しで出来る先生だといつも思いました。(後略)


出典:『音楽世界』3巻3号(1931年) p58-60 (現代仮名遣いに直しました)