新鮮な大気と自然豊かな小田原に移転して、大木も恵子もめきめき元気になっていきました。二人の住まいは様ざまな芸術家達の溜まり場になり、談論風発の日々が続きました。ある日博文館の同僚が小田原に住む北原白秋に詩を依頼しにやってきて、大木も同行して白秋の家を訪ねました。大木は詩を書き溜めていましたが、そのことは偉大な白秋の前では一言も話せませんでした。
翌年の春、詩集を出版する前にやはり白秋に見てもらおうと一人でたずねていくと、多忙な白秋は5分だけと言って会ってくれました。大木はその場で詩の草稿を差し出したところ、白秋は次々に目をとおして、「いいよ、君、すばらしい」と感嘆の声を上げました。5分のはずが夜中の3時までの歓待となりました。
妻よ、
隣りの子供の
鶯笛でも借りて来よ、
柊の花がさびしいと言うたとて
どうせ来る日が来なければ
春にもなるまい、ああ、せめて
鶯笛でも吹かうよ。
― 柊の花
白秋は大木の詩集の序文を書くと約束してくれ、それ以来白秋はたびたび大木を誘って食事をしたり旅に出たりするようになりました。あまりの頻繁さに白秋夫人はあきれかえり、恵子も寂しがって別居を言い出す始末となりました。結局その年の暮れに二人は小田原を引き払い、本郷根津のアパートに移りました。