ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

古澤淑子と荻野綾子(その3)

 古澤淑子は1937年、いよいよフランスへ留学します。このころ荻野(太田)綾子はパリで開催される国際音楽教育会議に参加のため、同じく渡仏したのでした。

 淑子の留学がフランスと決定するまでに、多少の回り道があった。自由学園でも教えていただき、古澤家とも親交のあった近衛秀麿先生に留学の件を相談すると、先生はアメリカ行きをすすめられる。近衛先生のお世話になるのはちょっと気が重い。しかし無下に断るのも恐れ多い。というわけで母・満江はこの話のもっていき方に悩んだ。三月も末になって、自由学園羽仁もと子を訪ね、意を決して、太田先生のおともでフランスへ行くことを申し出ている。
 太田太郎と綾子は新婚旅行も兼ねて、この年4月3日、淑子よりひと足先にフランスへ発っている。(中略)
 諏訪丸には東京音楽学校よりイタリア留学に向かう途中の浅野千鶴子が乗船していた。
 淑子の一人旅は、声楽の大先輩の浅野の存在で、大層心強いものになった。(中略)
 そして6月10日。いよいよマルセイユ到着。下船後、淑子の大きなトランクは15個。すべて、母が準備した衣類等、服飾雑貨。ボーイたちを総動員して降り立った。
 ふた月前にフランスへ旅立った荻野綾子がそこにいた。ぬけるように白い肌、そのきれいな二の腕が柔らかなワンピースからすっと差し出され、着いたばかりの淑子を迎えた。

出典:星谷とよみ『夢のあとで:フランス歌曲の珠玉 古澤淑子伝』(文園社、1993)p69-73