古澤淑子が荻野綾子のレッスンに通っていた1934年(昭和9)、荻野は太田太郎と結婚し太田姓になりました。
このころ、師の大きな心の変化、生活の変化など、淑子のレッスンには何ら、関係してこない。途中で、通う先生の家が変わっただけで、レッスンはさらにレベルアップし、留学を控えて、熱が入った。(中略)
昭和10年、淑子の留学がいよいよ本決まりになる。この年の8月、太田綾子先生と淑子は満州演奏旅行をしている。
当時の大連の新聞紙上には、この一行の公演の事前予告が賑々しく報道されている。
そうして新聞報道の記事が引用されています。そのプログラムをみると次のようです。
独唱 太田綾子
城が島の雨 北原白秋詩 山田耕作曲
短夜 北原白秋詩 山田耕作曲
春と赤ん坊 中原中也詩 諸井三郎曲
潮音 島崎藤村詩 宮城道雄曲
落葉 西條八十詩 宮城道雄曲
せきれい 北原白秋詩 宮城道雄曲女声二重唱 太田綾子・古澤淑子
スザンナと伯爵夫人の二重唱『歌劇フィガロの結婚より』モーツァルト曲独唱 古澤淑子
汝は静けし シューベルト曲
駅逓 シューベルト曲
さらにピアノ独奏・高橋英子、そして太田綾子の独唱と続く。(後略)
出典:星谷とよみ『夢のあとで:フランス歌曲の珠玉 古澤淑子伝』(文園社、1993)p64-66
『春と赤ん坊』(中原中也詩 諸井三郎曲)を演奏した時のプログラムはこちら。『笛吹き女』を最初にやった時でした。
昭和九年の交響曲シリーズ<その1>(演奏会プログラム) http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20100818/