ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

古澤淑子略歴

 古澤淑子(1926-2001)の伝記を読み終わりました。フォーレの歌曲『夢のあとに』の楽譜を随所に配し、幼少から晩年までの写真も添えた読み応えのある伝記は、1992年1月〜12月に雑誌『婦人画報』誌上に連載されたもの。荻野綾子とクロワザについての記述はもちろん興味深かったですが、なにより古澤淑子という声楽家の生きざまに圧倒されました。巻末にある略歴を載せておきます。

古澤淑子
1916年満州・大連生まれ。小学校時代より唱歌を遠藤郁子に、その後、声楽を荻野綾子に師事。
1937年、渡仏。パリ国立音楽学校の声楽科に日本人として初の合格。フランス近代歌曲の母といわれるマダム・クロワザに歌唱と詩の朗読の精髄を教授され、4年間を過ごす。
1942年、作曲家・倉知緑郎と結婚。
1944年、戦局が激化する中、日本人は一斉退去。ベルリンへ、そしてスイスの難民キャンプへ。戦後、スイス、フランスでリサイタル。多くのラジオ番組に出演する。
1952年、15年ぶりに帰国。東京芸大桐朋学園で教職に就く。日本での公演、教授等、すべての時間をフランス歌曲の教授、紹介に捧げる。フランス政府より学術文化勲章授与。日仏を行き来し、パリでヨーロッパ音楽学校教授としても指導に携わる。日本人の前に初めて開かれた、繊細にしてスピリチュアルな音楽芸術、フランス歌曲、その演奏と教授に全霊を尽くす。
現在、フランス、オート・サヴォア県に在住。古い農家を改造し、夫・倉知緑郎とブービエ種(牛追い犬)のエリカと暮らす。古澤淑子は今、“夢”のあとの豊かな覚醒を生きる。

 文中に大森の古澤邸サロンの再現と書かれたスペース・桐里が登場し、石井眞木先生の会で訪れたのを思い出しました。スペース・桐里を主宰していた竹前文美子氏が1987年に第6回中島健蔵音楽賞優秀賞を受賞していることもわかりました。


出典:星谷とよみ『夢のあとで:フランス歌曲の珠玉 古澤淑子伝』(文園社、1993)