ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

下村脩さんと満州

 今月の日本経済新聞連載「私の履歴書」は、ノーベル化学賞を受賞された下村脩さんです。昨日7月2日の記事中に、満州でのことがほんのすこし出てきましたので引用します。1930年代の現地の暮らしぶりがかすかに伝わってきます。伊福部昭や深井史郎が見た満州と通じるものがあるかと想像しています。『王道楽土の交響楽』第3章の頃です。

 (前略)父は学資のいらない陸軍士官学校に進んで身を立てることを選んだ。諫早出身の母と結婚し、私が生まれたころは陸軍大尉だった。(中略)
 5歳の時、33年に父が旧南満州に赴任した。満州国建国の翌年のことである。(中略)
 小学校に上がるとき、現地の事情も落ち着いてきたので、家族で満州に渡った。父の任地の連山関は朝鮮国境から奉天(現在の瀋陽)に向かう途中。日本人小学校に入学したが、同級生は私をいれてたったの4人。全校生徒も30人くらいの規模の小さな学校だった。1年から3年までまとめて授業を受けた。(中略)
 一番の楽しみは冬のスケートだった。11月になると校庭いっぱいに水を張って即製のリンクができあがる。長いエッジのスケート靴を履き、疾走するのは実に爽快だった。
 小学生なので毎年足のサイズが変わる。学校の先生がシーズンごとに生徒の足を測って、ドイツ製のスケート靴を取り寄せてくれていた。
 夏は川で魚釣りが楽しみ。4月から5月には雪解けや大雨で川があふれそうになるくらいになる。子どもの目には、川の水位が地面よりも高く見えることがあり、家が流されてしまうのではないかと心配になることもあった。(後略)
  出典:日本経済新聞2010年7月2日朝刊40面「私の履歴書 下村脩(2)満州に渡る」より