ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

大木惇夫『緑地ありや』第9章

 大木は少年期からロシア文学にひかれていましたが、博文館に入ってからはフランス文学やフランスの詩にも興味を持つようになっていました。そうしたある日同僚に勧められて新作のロシア小説を読み、それに刺激をうけて小説を書き始めます。
 結婚生活も無事に過ぎて翌年の夏になり、二人で箱根へ避暑旅行へ出かけました。宿帳の前のほうを見ると、「小説家谷崎潤一郎、小説家北原章子」と列記してあるのを目にしました。北原章子は北原白秋の前妻でした。そして二人で湯船につかっていると、谷崎潤一郎がざぶんと湯につかってきました。
 大木は書き上げた小説を大阪朝日新聞社の懸賞募集に匿名で応募した所、見事入選し賞金弐百円を得ます。選者は正宗白鳥有島武郎厨川白村の3人でした。入選したことで大きな自信を得ましたが、恵子の結核の具合が思わしくなく、また繁忙な生活の中で創作のペンを執るのは難しいものがありました。そんな折小田原に住む友人から近くに来ないかと誘われ、大木は博文館に辞表を提出しました。すると過分な退職手当を支給された上に、何本かの連載も依頼され、当分の生活費の目処が立ちました。大正10年、26歳の夏に小田原にこもることになりました。

一すぢの草にも
われはすがらむ、
風のごとく。


かぼそき蜘蛛の糸にも
われはかからむ、
木の葉のごとく。


蜻蛉のうす羽にも
われは透き入らむ
光のごとく。


風、光、
木の葉とならむ、
心むなしく。
    ― 風・光・木の葉