ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

山田一雄『一音百態』「小説の世界におびえる」

 中高生のころむさぼるように読んだ小説の中に、トルストイの『クロイツェル・ソナタ』がありました。登場する男女の愛、情欲の物語は十分に刺激的で、ひるみつつ読むものの次第に怖くて怖くてたまらなくなりました。ちょうど日本青年館でロシア人指揮者シフェルブラットがラヴェルの本邦初演をするという新響(現・N響)の定期演奏会がありました。そこで『クロイツェル・ソナタ』の本を携えて演奏会を聴きにでかけました。

 終始、落ち着かない気持ちで演奏を聴き、やがて演奏会が終わるころ、わたしの心は決まった。そして、ザワザワと聴衆が席を立ち始めた時を見計らって、わたしは自分の座席に『クロイツェル・ソナタ』を捨て、素知らぬそぶりで会場を抜け出た。しかし、“善意の人”は、いつの時代にもいるものである。
「ねェ、これ、君のじゃあないの?」
 肩をたたかれて振り返ると、善意の人は、「ああ、よかった――」と言って、わたしに、“あの本”を渡してくれたのだ。この時の、わたしの驚愕と絶望感は、救い難いものがあった。
『一音百態』p60-61より)

 シフェルブラットがラヴェルの本邦初演をしたのは、1931年1月のN響82回定期での『ボレロ』か、同年9月N響94回定期での『クープランの墓』のいずれかです。彼はこの年4月の88回定期でストラヴィンスキー『火の鳥』の初演をしていますので、19才の山田和男はこれも聴きに行っていたのではないでしょうか。