ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

山田一雄「指揮中に消えた!?」

 有名な転落事件の顛末について、『一音百態』で山田先生はつぎのように書いてらっしゃいます。N響名古屋公演での出来事でした。

 振っていた曲は、ベートーヴェンの『レオノーレ・三番』。曲の、どのあたりを演奏中に落ちたのかは、はっきり覚えていない。何しろハッと気がついたら、わたしは惨めな姿で、客席に横たわっていた。とっさに、
――棒振りなんだから、ここであわてふためいては、指揮者としての沽券にかかわる!?――
 と、気を立て直してすぐに起き上がった。それから、何事もなかったようなそぶりで(とはいえ、二千五百人の聴衆は、確実に気づいていたが)客席の前をゆっくり歩いて、舞台上手のソデから指揮台に戻り、何くわぬ顔で振り続けた。
――N響ほどの力があれば、『レオノーレ』は、少しの間指揮がなくてもやってくれる――
 こう確信していたので、余裕をもって、舞台に戻ることができたのである。
 しかし、この時の楽員たちの心理状態は、実際、パニック寸前だったという。演奏中の楽員は、常にわたしを見ているわけではなくて、棒が視界の中で動いていることを確認しながら演奏している。このため、わたしが落ちた瞬間を気づかなかった人などは、
――指揮者がいない! いったい、どうなっているんだ!?――
 と、キツネに化かされたような思いで、背筋がゾォーっとしたという。指揮者不在の舞台では、だれもかれも、何かに憑かれたような必死の形相で演奏していたそうだ。(p20-21より)

 先日の追悼ヴィデオの冒頭にもこのエピソードは取り上げられていました。