ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

2011-10-08の練習日記、あるいは「明治のおかあさん」

 『若者のうたへる歌』の出だし、前回はトランペットのパッパパッは「恋人に振られる」話でしたが、今日は結婚したいと母親に言ったら「和男さん、それはなりません」と言われてがっくりきたところ、と田中先生。『一音百態』にも載っている「明治のおかあさん」が話題に上りましたので、少しばかり引用します。

 母が亡くなった後にわかったことだが、母は松江の女学校時代、やはり松江で教鞭をとっていた父に、英語を習っていた。その後、父は上京して学習院の教壇に立つようになった。母は父の後を追うようにして一人で上京して、結婚した。明治三九年のことだ。
 湖上でのプロポーズは、おそらく父が上京する前だったのだろう。二人の間に何があったのか今となっては知る由も無いが、葬儀の後、母の同級生から、母が女学校の寄宿舎で、行李の中に数十通の恋文を隠し持っていた話を聞いた。(後略)
『一音百態』p304より)

 田中先生は山田一雄先生の口癖である「どうして?」についてもお話しされました。楽譜に書かれていないのに遅くなったり速くなったり、大きくなったり小さくなったりすると、「どうして?」とよくおっしゃっていました。先生の指揮で演奏したのは20年以上前なのに、まるで昨日のことのように思い出します。